縦向きにしてください

「気持ちよく”役”を引き受ける」

流れのなかで一生懸命に努力する、70余年の積み重なり

白川町黒川地区で、建具屋の『栄伸(えいしん)木工』を創業した榊間博幸(さかきまひろゆき)さん。

地域では数多くの”役”を引き受け、働きながら大工のプロを目指す『濃飛建設職業能力開発校』の校長や、黒川地区の伝統文化『箱岩太鼓』の主宰、法人化した営農組合の代表、過去には農業委員会の会長なども務められました。

 

「地域に貢献するというか、地域に恩返しするというか。そういう感謝の気持ちが心の中にずっとある」

 

地域とともに生きたこれまでを振り返っていただきました。

実家で仕事ができるように、建具屋に

——博幸さんはたくさんの活動をされていると思いますが…そのノートはこれまでの記録ですか?

ほんともう、いろんな役があって記録しとかな覚えとれん(笑)

これまでの役や経歴をまとめたノートを確認する博幸さん

これまでの役や経歴をまとめたノートを確認する博幸さん

 

——元々は建具屋さんだったんですよね?

父親はここで、百姓やったり山の仕事やったり、椎茸や養蚕もやっとった。

でも時代が変わってそれだけでは食べていけんし、長男やから早くうちへ帰って仕事を始めたいって気持ちがあった。それで中学校を卒業する前に「何を仕事にするか」ってことを、それなりに考えたんやね。

——家で自分でできる仕事をしたかったんですね。

そう、うちのひいおじいさんが大工で「大工は道具箱ひとつ持って行けば仕事ができるでええぞ」って言われとった。でも大工は、現場で仕事をしとる間、家族は何も手伝えんわけやわね。

それで家で仕事ができて家族も手伝える、雨降ってもできる仕事がええなって思った時に、建具屋さんはどうかって思ったんですよ。家が建てば建具もぜったい必要になるし。

笑顔の博幸さん

中学校を卒業してからは、職業訓練校に1年通い、その後は建具屋で働きながら夜間の高校に通ったと言います

 

——15歳でそこまで考えられていたんですね。

大きな会社やと”流れ作業”というか、一定の仕事をずっとやらないといかん求人がほとんどやったので、親戚に頼んで一人親方みたいな人がやっとるところで働かせてもらった。

昭和43年に8・17の集中豪雨*があって、災害復旧も手伝う必要があって、その年に21歳で帰ってきた。

親の面倒を見ていかなならんし、それなりに田んぼも山もいろいろあるので。家のことを放っとくなんて、そんな気持ちにはなれんかった。

*この集中豪雨では、土石流にのまれて観光バス2台が飛騨川に転落する事故も発生しました

21歳から続く、働き、地域のために活動する日々

——21歳ですか。若いなぁ。

機械も買って、黒川で『長谷部木工所』って建具屋さんをやってた人にいろいろ助けてもらって、育ててもらったおかげで地元でやれるようになっていった。

で、すぐに誘われて消防団にも入ったりして…あの時分の消防は厳しかった(笑)招集がかかったり訓練があると、みんな仕事を休んで行くもんね。仕事を始めたばっかりで、工期にも追われるし、ほんとに月月火水木金金(休みなく働くこと)みたいな感じで。昔は夜も遅くまで仕事してってやっとったわね。

——それ以外にも、博幸さんはたくさんの地域活動をされていますよね。

黒川の夏祭りで、関市の『孫六太鼓』っていうところが演奏してくれた。それを見て役場職員だった岩井さんっていう方が「わしらも太鼓始めまいか!」って言って。お金もないから太鼓3つと、ちっちゃい太鼓を3つ、計6つだけ買って『箱岩太鼓』を始めたのね。

私は箱岩太鼓の活動の2年目、消防団を退団した35歳の時に仲間になった。もう箱岩太鼓が始まって44年ぐらい経つね

子どもたちに箱岩太鼓を教える博幸さん

現在は主宰として子どもたちに箱岩太鼓を教える博幸さん。『師範』の資格も取得されています

 

——すごい年月ですね…始まりは「地域を盛り上げよう」という気持ちからだったんでしょうか。

みんな孫六太鼓を見て良いなと思ったし、地域の活性化にも繋がればっていうのがきっかけやったね。

——今は黒川地区の中学生の授業でも箱岩太鼓を教えられていますよね。長い年月を通して地域の伝統文化になっていますが、逆に「どうやってこの文化を残すか」というところもあると思います。

特にコロナの時は、子どもたちも練習に来れずガクっと人が減っちゃったね。

でもだんだん、孫に「友だち誘ってきて」って言ったら同級生の子が来てくれたり、見に来た親とか担任の先生がバチを持って参加するようになったり、今はぜんぶで24〜25人おるかな。練習に行くといっつも賑やかで、ありがたいです。

岩井さんが苦労して火をつけてくれた箱岩太鼓なので。辞めることは世話のないことやけども、やっぱり伝統文化として続けていくってことが大事やと思う。

子どもたちの演奏を見つめる博幸さん

技術を磨くために関市の団体にも入り「大阪花博とかぎふ中部未来博とか、他にもいろんな博覧会なんかで演奏もした」と振り返ります

「気持ちよく役を引きるけることが、地域に生かされている人間の務め」

——その他にも、たくさんの”役”を引き受けていらっしゃいます。

周りの人は「あんなに役をやって、たわけ(「ばか」など相手を罵る言葉)やな」って思っておられるかもしれんけど(笑)

でも、人はその時々でやれる範囲の役が来ると思う。学校ではPTAの役もそうやし、成人なら成人の役、老人なら老人の役が来る。その時に気持ちよく引き受けてやることが地域に生きている人間の務めやと、そんなふうに思ってるんです。後になって振り返ると「あの頃はずいぶん幸せやったな」っていう、そういう感情を絶えず持って生きとるだけやなって。

——気持ちよく役を引き受けるのが、人の務め…

会議があったりすると無断で欠席される方もいるけど、自分にたいしたことができんくてもまずは参加する。行けない時は案内が来た時に早く断る。

そうやって、頼まれたことは責任上、一生懸命やるっていう気持ちは昔からある。

笑顔でお話しする博幸さん

学生の時から生徒会や、加茂郡で数人だけ選ばれるものにもなぜか選出され続けてきたという博幸さん。そのどれをも「一生懸命に努力してやってきた」と振り返ります

 

——言葉にすると当たり前なことのようにも聞こえるけど…それをずっと、あらゆる場所で実践し続けているんですよね。

営農組合に関しては、昔親父が組合長をやっとった。その時にいろんな意見があるなかで、お金をかけて田んぼの基盤整備をしてね。

私の根底には、親父の苦労をずっと見てきとるので、田んぼを荒らさんように残していきたいっていう気持ちがある。今は私が組合長で、法人化して補助金を受けながら、高齢になって管理できない人がおっても助け合って田んぼを守っていけるようにと思ってる。

——「伝統を残す」という博幸さんの姿勢にも繋がるところがあると思います。関わってきた人の気持ちを尊重するというか。

自分が働いていた時に親方から「お前がここで修行して覚えた技術や腕を、だれかに伝えなかったら建具屋は廃ってしまうぞ!」って言われたことがあった。『濃飛建設職業能力開発校』っていう大工の学校ができた時も、だから引き受けたんやね。大工さんが成長してどんどん家が建てば、建具屋さんにも仕事があるっていう気持ちもあって。

——流れや人との繋がりのなかでたくさんの活動をされてきたと思いますが、今後やりたいことはありますか?

うんほんとに、流れのなかに自分が入っちゃ一生懸命やるっていう。その繰り返しで70何年も来ちまったってことなんやけど(笑)まあそういうことで地域に恩返しするというか、地域のみなさんの助けになればいいなという気持ちやね。

いま黒川地区には4つの営農組合があるんやね。それぞれで機械を持ってるけど、コンバインなんかは1400万円以上する。自分が組合長をやっとる時に、みんなの意見をまとめながら、機械を減らしたり田んぼの作業を効率良く協力してやっていけるようになると良いなと思っとる。

ご自宅の縁側に座る博幸さん

 

記事中に載せられなかった、博幸さんがこれまでやってきたことや引き受けている役は、まだまだたくさんあります。

「夕飯食べた後に着替えて出て行かなあかん時には、もう風呂入って休みたいなって…そういう気持ちになる時も多少はある。けど…」

さまざまな役をどんな時でも一生懸命にやるその背景には、これまでの伝統や先人の気持ちがたくさん生き続けている気がします。

 

榊間 博幸(さかきまひろゆき)さん】

屋号   :下畑

出身   :黒川地区

学校   :黒川中学校、華陽高等学校

職歴   :建具職人

読んでいる人に一言   :何事も明るく解釈して、前向きに考えることが大事。

 

取材年月:2026年8月 

※記事の内容は取材当時のものです

  • 取材執筆/写真:

    澁谷尚樹

  • 監修:

    白川町役場振興課

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