佐見地区で、県内産の大豆を100%使い、手づくりの豆腐や油揚げ、寄せ豆腐を販売する『佐見とうふ豆の力』(以下『佐見とうふ』)。豆腐をつくる工房の横には『cafeソイア』が併設され、揚げたての油揚げがサービスでつくモーニングは、町内外のお客さんから特に人気です。
平成26年から代表を務める飯盛富子(いいもりとみこ)さんは、
「”一生懸命”がモットーだと思ってる。とにかく、やらなきゃいけない」
そうご自身の生き方を省みます。
町外への豆腐の販路拡大や物価高騰への対策、cafeソイアの新設など、走り続けてきた日々についてお聞きしました。
未経験から豆腐屋の代表に
——富子さんが佐見とうふの代表になられた経緯をお聞きしたいです。
元々は自動車会社の部品をつくる内職の仕事を、佐見の人に紹介してやってもらって回収して、それをまとめて出荷するっていうことを20年ぐらいやってた。でもその仕事が中国に回されて、なくなっちゃった。
それで主人がやってる『飯盛製作所』の仕事を手伝ってたら、主人が「お前さぁ、豆腐屋やらんか?」って言ったわけ。

元々は岐阜信用金庫でプログラマーの仕事を5年ほどしていたという富子さん。「自分でつくって、結果が出るから面白かった。だけど今、パソコン使えない(笑)」
——え、いきなりですか?
豆腐のつくり方も何も知らなかった(笑)だから断ったんやけど、主人が「豆腐屋やらんか、豆腐屋やらんか」って何回も言ってくるわけよ。
『佐見とうふ』は第三セクター*なんやけど、今は亡くなった細江茂樹さん(当時の町議会議員、後の白川町長)がよくうちに来てたんだわ。主人と茂樹さんがたぶん話し合って。
『佐見とうふ』の先代の代表から「親の介護で辞めたい」っていう話があったみたい。私は内職をしてる時も人に指示を出してまとめるようなことをしてたし、そういう経験から声がかかったのか…他にだれかいるやろうと思ってたけど、何度も声をかけられて「それじゃあ…」って引き受けた。
*国や地方自治体と民間企業が共同で出資・設立した法人や事業組織のこと
——それでまったくの未経験から、豆腐屋さんの代表に…
豆腐から油揚げから、つくり方をぜんぶ覚えて…とにかく一生懸命だった。大変なんだけど、一生懸命だから自分では大変なんて思わない。それでなんとかここまで来ましたね。
先代の時から働いている従業員さんが先代といっしょに辞められて、代わりの従業員さんを探したり。この田舎で人を探すのも大変やったね…
売り上げを上げるために町外に取引先を見つけて、平成29年には町の意向もあって『cafeソイア』を始めた。料理が上手なスタッフが入ってくれて、今はモーニングセットと日替わりランチがすごく流行ってる。

大人気のモーニングは、ドリンクの値段だけでこの内容!

それに加えて11時までの来店で、揚げたての油揚げがサービスでついてきます。豆腐をつくるための『にがり』は、先代の時から受け継がれる特注のものを使っているとか
——経営をするうえで大事にされていることはありますか?
別にこう、とにかく売り上げを上げようっていうわけではないけど…やるからにはね、商売だから売り上げは大事よね。
だけどやっぱり、人が付いてきてくれないと、それはひとりではできないから。
最近は大豆が不作で、物価も人件費も上がって、令和7年度は赤字になってすごく悩んだんですよ。人件費を削るためにみんなに早く帰ってもらいたいけど、それをよく思わない人もいるし。売り上げを伸ばすために取引先も増やしたいけど、果たしてそれだけの量をつくれるか。
でも遠くから美味しいって言って来てくれる人がいるから、頑張ってつくらないと。
一生懸命やるから、挫折しない
–——豆腐屋さんは朝が早いイメージがあるんですが、1日はどういうスケジュールなんですか?
2時に起きて…
——2時!!
それでちょっと家のことをやって、3時に家を出る。10分ぐらいでここに着いて、びゃーっと殺菌洗浄して、4時から豆腐をつくり始める。
豆腐と油揚げの生地をつくるのに12時ぐらいまでかかって、1時間かけて片付けをする。まだお昼ご飯も食べてない。そこから事務仕事やね。

お店の様子。従業員の方は朝5時に出勤されるそう
——もう10年以上代表をされていますよね。最初はお断りされた仕事だと思いますが、それだけエネルギーが持続するのは何でなんでしょう。
ただただ、一生懸命やるのがモットー。自分で言うのもなんやけど、負けず嫌いと、一生懸命が取り柄。
前の内職の仕事でも、佐見の50人ぐらいに毎朝部品を配って、それを集めて、持っていく。間に合わん時は徹夜してでもやる。頼まれたら、断れないみたいな(笑)だから、挫折はしない。
——挫折はしない、ですか。
豆腐をつくってても失敗はいっぱいありましたよ。クレームがくるとか、つくる工程で間違えちゃう子がいたりとか。でも今になってそれをカバーする力ができた。豆腐を1釜分間違っても、油揚げ分の大豆で調整する。そういう頭が回るようになってきた。
だから失敗しても、自分で驚かんくなったっていうのかな。

大豆が不作の影響もあり、現在は町内だけでなく県内の大豆を使ってつくられている佐見とうふ。油揚げが特に人気で、豆腐は豆の味がするのが特徴。愛知県から購入される方もいらっしゃるとか
——一生懸命にやり続けることで、失敗を乗り越えるから挫折しないというか。
もうこれで終わりかな、みたいな時はなかった。とにかく、一生懸命。
大変やし、自分から「辞めたい」と思うことはあるよ、そりゃ。あるんやけども、辞めない。一生懸命にやる。
動けなくなるまでやるしかない
——今までずっと、とにかく一生懸命走り続けてきたという感じなんですね。
そうやね、だから旅行にも行けない(笑)
それにうちの主人が、新聞屋さんを引き受けたんやね。佐見の新聞屋が辞められちゃうって時に、茂樹さんが「だれかいないか」って探しに来たわけよ(笑)
主人も人が良いというか、それを引き受けちゃった。だから主人は1時に起きる。それで5時ごろ帰ってきて、それからまた寝て飯盛製作所の仕事をする。
——茂樹さんが、飯盛家の忙しさの元凶に…(笑)
言えんけどね(笑)すごくお世話になったから。朝ひとりで豆腐づくりの作業してる時は、亡くなった今もどっかで見てるやろうなって思うことありますよ。
だから私も休みの日は新聞配ってるの。いつもは2時に起きるけど、休みの日は2時半に起きる。ほんとに、馬鹿なのかもしれん(笑)

従業員の方とお話しする富子さん(写真手前)。どんなに朝が早くても、寝坊したことはないとか
——どこからそのパワーがくるんだろう…力を抜くのが嫌とか、全力を出さないと気が済まない感じなのかな。
なんだろう。なんだろう…分からない(笑)
でも継続は力なり、やね。自分でも、よくやってきたと思う。
先代の代表と交代する時に、先代から「あんたほんとにやれるのかね?」って言われたの。それで「やります。やるしかありません!」って言った覚えがある。
もうね、仕事がある限り動けんくなるまでやるしかない。それか頭がボケるまでやるしかない。

店内には、富子さんのお孫さんが書いたという似顔絵が
——とにかく一生懸命に生きる選択を、これからもし続けていくんですね。
ここへ来るまでは安い豆腐を買ってたし、豆腐のつくり方も知らなかった。
でも佐見とうふの豆腐を持ち帰るようになって、たまに安い豆腐を家で出すと、当時保育園児やった孫が「きょうのとうふ、前とちがうね」って言うんやね。味が分かるんやね。
そうやって言われると、あぁそうか…美味しいのをつくらなあかんなって思う。

偶然たどり着いた場所で、自分にできることをし続ける富子さん。
「一生懸命」と自分で言い切れるその生き方は、とても泥臭く、日常に根ざしていて、積み重ねた時間の分だけどこか崇高さを帯びた、めちゃくちゃカッコいい生き方だと思います。
【飯盛 富子(いいもりとみこ)さん】
屋号 :田中屋
出身 :佐見地区
学校 :岐阜県立加茂高等学校
職歴 :岐阜信用金庫、杉山製作所(内職時)
読んでいる人に一言 :佐見とうふ、めっちゃおいしいですよ!油揚げも人気です。買いに来て下さ〜い!ついでにソイアで、モーニング、ランチもいかが?
取材年月:2026年9月
※記事の内容は取材当時のものです。

