縦向きにしてください

「ずっと体で生きてきた」

勝負の世界から人をつなげるスポーツの世界へ…『体を動かすこと』への情熱が町に伝わるまでの物語

町内のスポーツ団体やイベント等を一挙にとりまとめる『一般社団法人スポーツリンク白川』で、クラブマネジャー 兼 事務局員として働く渡辺 靖代(わたなべ やすよ)さん。

たくさん体を動かして遊びまわった幼い頃の記憶、学生時代の激しい競技経験、ゼロから立ち上げたエアロビクス教室の経験が、白川町で15年以上続くチアダンス教室につながったことなど。『体を動かすこと』を楽しむ事、その熱い情熱が町に伝播していく物語をお聞きしました!

 

スポーツをきっかけに人をつなげる

——靖代さんよろしくお願いします!

よろしくお願いします!

——まずは靖代さんが事務局員をされている『スポーツリンク白川』について教えてもらえますか?

白川町でスポーツをしている人達を一挙に取りまとめたり活動を企画する団体ですね。小学生の野球チームとかご高齢の方が多いゲートボールとか…チアダンスとかボルダリンクなどの競技性にとらわれず楽しむスポーツもまとめています。

——活動が幅広いですね!

元々白川町にはスポーツに関わる3つの団体*があって、それがひとつになったので活動も幅広くなっていますね。それぞれの団体のカラーがありましたが、それをぎゅっとまとめたものが『スポーツリンク白川』なんです。(以下、スポーツリンク)

 

*「スポーツリンク白川」前身の3つの団体
 ・白川町体育協会:競技性が強いスポーツをとりまとめていた団体。
 ・スポーツ少年団:小学生のスポーツチーム。町ではバレーボール、ソフトボールがメイン。
 ・チャオ白川スポルトクラブ(総合型地域スポーツクラブ):スポーツ少年団にはない競技性にとらわれないスポーツを楽しむ団体。種目としてはフットサル、チアダンス、ボルダリング等。

 

スポーツリンクの事務局前に立つ靖代さん

町民会館内の事務所前でパシャリ

 

——3つの団体がひとつに、それは人口減少の問題からですか?

そうですね。20年前は人口がまだ多くて色々なスポーツが盛んでした。時代の流れとともに人口が減って子供も減っていって…町の予算も厳しくなっていきました。そんな背景と、3つの団体が同じような事をしている時もあったので「一緒にしよう」となり、2017年に設立されました。

——なるほど、そんな背景があったんですね…。でも分かれていた人達が一緒になったことで新たなつながりも生まれていそうです!

そうなんです!元々団体によって年齢層もある程度分かれてましたが、その線引きはなくなりました。あと、スポーツリンクの『リンク』は『つなぐ・つながる』って意味が込められています。町民同士のつながりや、町外の人達とのつながりをもスポーツを通じてつくっていきたい、そんな想いをもってみんなで活動しています!

——ここ最近若い人も町内でスポーツをやっていたり、地域でのスポーツが盛んになっている印象があります!スポーツリンクが『人をつなげる』という想いをもって活動されているからなんですね。靖代さんはスポーツリンク前身時代から携わっているんですか?

はい、前身の団体の1つである『チャオ白川スポルトクラブ』の立ち上げから関わっていますね。楽しむことをメインにした団体なので、スケート体験とかドームに中日ドラゴンズの試合を見に行くとかおでかけ企画もやりましたね。なんでも面白い企画はやってみようっていう団体でした!

脚を大きく開いて前屈する靖代さん

とんでもない柔軟性…この状態でストップお願いして撮影させて頂きました(すみませんでした…笑)

 

——なんと、野球の試合観戦も!楽しそう(笑) そういえば、チャオ白川スポルトクラブ以前もスポーツを仕事にしていたんですか?

そうですね。健康増進施設のインストラクターやスポーツスクールの講師をやっていました。白川町に住むようになってからは、自分で親子体操の教室を開いたりしていましたね。

——自分でも教室をされていたんですね!仕事的にはフィットネス関係が多いようですが、いつからそういった仕事をしたい!と思うようになったんですか?

実はフィットネスを仕事にし始めたのも成り行きなんです(笑) でも体を動かすことに興味が湧き始めたのは幼い頃からでした。

 

勉強よりも体育でトップにいたい

幼い頃から、野山を駆けまわったり、父の田んぼで遊んだりドジョウすくいしたり。体を動かす遊びが好きで、ずっとやってましたね。

——ご出身の八百津町も、白川町にまけないほど自然あふれてるから、遊びまわれる環境が身近にあったんですね。

そうやって体を動かして遊んでいる内に、勉強よりも体を動かすことをしたいな~って思うようになりました。勉強で100点をとるよりもスポーツテストで1級をとる方が簡単でしたし…(笑)「 勉強よりも体育*でトップにいたい」と、中学の頃から思っていました。

*スポーツと体育の違いについて:この記事では学校の授業など教育に関わることを「体育」として、「スポーツ」は直接的な教育以外の領域や競技としての意味で記載

 

——子供の頃から、体を動かすことが得意だったんですね。

中学はテニス部(軟式)でしたが、これでも結構強かったんですよね(笑) 美濃加茂高校のテニス部から声がかかって推薦で入学できたくらいで。もちろんテニス部に入ったんですけど362日間部活やってましたね(笑)

学生時代の靖代さんがテニスサーブを打つ姿

テニスサーブかっこいい!

 

——え!お休みは1年で3日だけですか?!

お盆1日と、1月2日、1月3日の3日だけです(笑)元旦は『初打ち』って言って部活がありました(笑)

——それはめでたいのか、めでたくないのか…

今でいうとやりすぎなんですけどね(笑)当時は「とにかく練習して勝っていく!」って雰囲気でしたし、出来なければラケットも飛んでくるような時代でしたから(笑) そうゆう環境で3年間やってきました。

それから進路を決める時に「体育の先生になりたい!」と思って、体育学科のある学校に進学しました。中学の頃から体育が好きでしたし。

——そこまで本気でテニスをされていたなら選手や、競技の世界に近いスポーツトレーナーを目指すことも自然のような気がしましたが…。

テニスは中学時代の少ない選択肢の中から選んだだけで、自分がやりたい事として選んだわけじゃなかったですから!陸上とか他の競技とかやっていれば別の道も考えたかもしれませんけど。

あと…スポーツに関わる仕事って今でこそトレーナーや柔道整復師*とか、選手をメンテナンスする職業が良く知られていますが、20年くらい昔は今ほど情報があふれていないので、体を動かす職業って体育の先生くらいしかないと思ってたんです。

*柔道整復師:骨折・脱臼・捻挫などのケガに対し、整復や固定といった方法を使って治療をおこなう国家資格

 

—–なるほど、当時は職業の選択肢自体が少なかったけど、体を動かすことに対する熱量は更に強くなっていったんですね。

進学した短大は、オリンピック選手を多く輩出している学校で、全国からスポーツや体育の成績トップの人達が集まるような所だったんです。入学試験も論文と体力測定でしたし、授業でもゴルフ・バレーがあったり、夏は遠泳の後に浜辺でソフトバレーもしました。そうやって単位を取っていくような学校でしたね。

——高校から短大まで本当に体育漬け、スポーツ漬けの日々だ。

短大の同級生達と靖代さんの集合写真

同じ学科のみんなと。めちゃくちゃ楽しそう。

 

高校も短大も、座学の勉強をしっかり積み重ねてきたわけではないから、ほんと「ずっと体で生きてきた」って感じですね!でも当時は、女性が体育の先生になること自体が狭き門だったので、中々採用にはいたらなかったんです。

——幼い頃から短大までのお話でも『体を動かす』ことに対する熱がずっと高まっているのを感じました。でも…短大も体育ではトップクラスの学校に入ったのに、それでも女性が体育の仕事につくのは難しい時代だったんですね。

そうですね。そのうちに可児市の健康増進施設から声がかかって、その施設のインストラクターになることにしました。実家から通える距離でしたし。部活の事もあり高校から家を出ていたのですが、親にも帰ってきてって言われていましたから。

そこで初めて、今の仕事にもつながる『競技性にとらわれないスポーツ』に出会うことになるんです。

人が喜んだり、楽しいと思うことを大事にしてきた

——『競技性にとらわれないスポーツ』というと、スポーツリンク白川の前身である『チャオ白川スポルトクラブ』の活動と深くつながりますね。

そうです。でも最初は業務命令として「エアロビクスを教えろ!」っていきなり言われたんです(笑) 元々競技性のあるもの、勝つか負けるかの世界が好きでしたから。音楽で踊って何がおもしろいんや?って思ってましたよ(笑)

——たしかに今までやってきた事と全然違う…。

入社した健康増進施設が病院管轄の場所だったので、高血圧とか糖尿病とか肥満とか健康面の課題を抱えた人がくる施設だったんです。電極をつけて心電図を見ながらエアロバイクを漕いでもらったりするような。

——それはまた医療など様々な知識が必要になりそうです。

そうです、だから勉強しましたね。エアロビクスのクラスを立ち上げるためにも、勉強の日々でした。プログラムを立ち上げるために、段々心拍数を上げていくダンスの流れや音楽もゼロから考えなきゃいけなかったですから。

エアロビクスレッスンでで教える靖代さん

ゼロから創り上げたプログラム。マイクで話ながらこの態勢はなかなか…

 

——それは大変すぎる…。その後に『チャオ白川スポルトクラブ』に入ったんですか?

いいえ、まだですね。でも経験は活きてます。3年間その施設で働いた後、結婚と出産を機に辞めて夫の実家である白川町に引越してきました。ちなみに引越してきた時にまず思ったのは「体を動かす場がないじゃないか!」ということでした(笑)

——白川町ではスポーツを行える施設は限られてますもんね。

最初は可児の方まで子供と一緒に親子体操の教室に通っていたんですが、「これを白川でやらないと!」と思うようになっていきました。それから可児の教室の先生の後押しもあって白川町で自分で教室を始めたんです。その教室の後半では産後のお母さんのエアロビもやったりして。

——すごい実行力!スポーツの瞬発力とつながる所を感じます!前職の経験もすぐ活用されていますね。

でもスポーツリンクにつながるのはその後で、子供にダンスをやらせたいなと思ったのが最初のきっかけかもしれません。エグザイルの流行初期でダンスが来ると言われていたので、ダンスを披露していた川辺町のお祭りに行ったんです。そこで年少クラスの子達がチアダンスをやっている人がいて衝撃をうけました。

——衝撃、ですか?

先生がいなくてもフォーメーションを変えて、自分達で踊っていたんです。保育園や幼稚園でも先生と一緒に踊ることってよくありますよね?でもそこで見たのは自分達で考えて踊っている子達の姿でした。その自発性を作る仕組みが全くわからなくて、すぐにそのチダンスを教えているスクールに問合せて、教えている様子を見せてもらいました(笑)

——また行動がはやい(笑)

靖代さんが発足したチアダンスチームの練習風景

靖代さんが発足したチアダンスチームの練習で。キレがすんごいんですわ!

 

そのスクールの先生がプロ野球チームの中日ドラゴンズのチアダンスチームに所属していた人で「どうやったらあなたみたいになれますか?」って聞きましたよ(笑) 子供はクラスの定員一杯で入れないなら、私だけなら入れますか?って聞いたりして(笑)

そしたら1月から新しいクラスをつくるので立ち上げメンバーとして入ってくれませんか?ってお誘い頂いたんです。

——す、すごい…先生も靖代さんの凄まじい熱量を感じたんですね…。

クラスを運営するなかで「どうやったらこれを白川できるんだろう?」と思うようになりました。それで子育て支援センターで働く方ニッタ マミコさんに立ち話で相談したら、チャオ白川スポルトクラブの立ち上げをしている人を紹介してもらったんです。それで早速話をしたら「子供たちが参加できる1つの教室としてやってみないか」とおっしゃって頂いて…今の活動につながりますね。

——すごい勢いでご縁を引き寄せて、トントン拍子に話が進んでいきましたね!

チアダンス教室を立ち上げてもう15年になりますが、花フェスタ(現 ぎふワールド・ローズガーデン)のイベントステージには今も出場しています。ステージに立ち1,000人以上の前で踊る体験は中々出来るものではないですから、そうゆう体験を子供たちにも沢山させてあげたいなと思っています。

チアダンスチーム『ミルキー』のみんなと靖代さん

チアダンスチーム『ミルキー』のみんなと。ポーズはこの時生まれました。

 

——教室を立ち上げて15年…。それは一時の情熱だけで続けられる期間ではないと思いました。スポーツで培ったバイタリティや瞬発力、そして切り拓いたことを続けていく熱量を靖代さんから感じました。

やっぱり体を動かすことが好きですから。産後ずっと家にいる時もありましたけど、体を動かせなくて苦痛でしたよ(笑) 今のスポーツリンクの企画を考える時も一緒ですが、自分が楽しめる上で「きっとこれをしたら人は喜ぶだろうな、楽しいだろうな」って思うものをやってきた感じはあります。

元々は勝負の世界が好きでしたが、スポーツリンクの『スポーツで人をつなぐ』という想いのように、今は多世代の人と一緒に体を動かしたいなって思ってます。

——『体で生きてきた』とおっしゃっていましたが、体を動かすことによる楽しさが今は自分の楽しさだけでなく色々な人をつなぐ原動力になっているんですね。

そうかもしれませんね。ちなみにエアロビといえば、白川町の朝7時の時報で町内中に流れる歌に振付をつけた『しらかわ茶レンジ体操』という町民体操も考えましたよ!体育大会とか、何かイベントがある時に使ってもらっていたんですが、コロナの影響もあって中々広まってないのでヤゴーシラカワさんでも広めてください(笑)

靖代さん出演の『しらかわ茶レンジ体操』レクチャー動画。(この音楽聞くといきなり白川感がこみあげてくる…)

 

——町民だったら聞き馴染みのある歌で健康習慣がつくれるのはいいですね!ヤゴーシラカワでも発信しますね!話はかわりますが、今後の靖代さんの活動についてもお聞かせ頂けますか?

自分がやりたい事は結構やってきたと思っているので、今後はスポーツリンクとして『スポーツでのまちづくり』を考えていきたいですね。でも正直”スポーツだけ”ではまちづくりはできないと思っています。観光とか食とか、他の団体さんや色んな人達とつながって『スポーツ × X』でやっていくことが大切だと思います。

白川ってみんながそれぞれに色々な事をやっているけど、集まる機会ってすくないですよね?だから『スポーツマルシェ』とか食とスポーツを絡めたような、気軽にみんなが集まってスポーツを通じてつながる機会はつくりたいと思っています!

——スポーツマルシェとても楽しそうです!

靖代さんのお話をお聞きして、幼い頃からの環境や学生時代の競技経験、嫌々ながら立ち上げたエアロビクスなど、すべての経験が今の活動につながっているように感じました。白川町でスポーツの活動が盛んになっているのも、靖代さんの『体を動かすこと』の楽しさや熱量が町にひろがっていっているからなのかなと感じるお話しでした。

ありがとうございました!

笑顔の靖代さん

【渡辺 靖代(わたなべ やすよ) さん】

出身   :岐阜県八百津町

学校   :美濃加茂中学高等学校(高校)・中京女子短期大学(現 至学館大学)

職歴  :健康増進施設 クラブM・山手スイミングスクール・一般社団法人スポーツリンク白川 等

趣味  :歩くこと。読書。ジャンルを問わずスポーツをすること。

読んでくれている人に一言:座右の銘は「やってみないとわからない」です。誰かのために何かできるよう、挑戦する気持ちでいつもいます。私と一緒に活動したい方、オファー待ってます!

 

取材年月:2023年01月 ※記事中の年月は取材当時のもの

【一般社団法人スポーツリンク白川】

〒509-1105 岐阜県加茂郡白川町河岐1645番地1(町民会館内)

☎:0574-72-2317

公式サイト

スポーツリンク白川通信

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