大正2年に設立し、総合建設業者として道路工事や防災工事などを行う『大脇建設株式会社(以下:大脇建設)』
2019年から代表取締役を務める大脇健太郎さんは白川町の蘇原地区出身で、婿養子として大脇建設に入社しました。
「どんなことに対しても一生懸命頑張っていれば、人生のどこかでそれが活かされるようになっているんだと思う」
自動車の営業職から始まった社会人生活。奥さんと結婚して会社を継ぐために専門学校に入り、建設会社での修行、その他には議員の秘書も務めるなどたくさんの経験をしてきた健太郎さん。
これまでの経験や想いをお聞きしてきました。
スピード違反から始まった『建設業界でのキャリア』
——健太郎さんは建設会社の代表をされていますが、そもそも今とはまったく違う職種から社会人生活をスタートされたんですよね。
自分の性格的にも営業職が合ってると思って、大学卒業後は自動車の営業をしていました。
そんなある日、下呂市にある営業所に出勤する途中でスピード違反で捕まって、なんと1発で免停処分になったんです(笑)
——それは…車の販売員としてはなかなか辛いですね(笑)
手続きをするために岐阜市にある自動車学校に行ったら、そこに見たことのある同じ白川中学校の同級生がいたんです!それで声をかけたら、実はその子も1発免停!
まあそれが今の奥さんになるわけなんですが…
–—–ちょっと待ってください(笑)「それが今の奥さんです」史上、いちばんビックリな展開です…!
免停の処分とか罰金を払って、代わりに奥さんと付き合うことになった(笑)
1年以上付き合って、自分もある程度稼げるようになったから思い切ってプロポーズしたんです。そしたら「私が実家の家業を継がないといけないから、お嫁にはいけない」って言われて。
それでもすごく好きだったから「じゃあおれ仕事辞めて勉強するわ」って言って専門学校で土木の勉強をして、建設業界に入ることになったんです。
「無駄なことは何も無い」秘書時代に培った経営者としての振舞い
——そういう流れがあったんですね…!
その後は他の建設会社で修行したり、大脇建設のグループ会社に勤めたり、参議院議員の渡辺猛之議員*の秘書をやったりして、今の仕事をするようになりました。
*岐阜県八百津町出身の参議院議員
——建設業界でキャリアを積んでいるなか、国会議員の秘書ですか!?
猛之さんは僕の高校の先輩で、父親がファンなこともあって参議院選挙の半年前から手伝いをすることになったんです。その後無事に猛之さんは参議院選挙に当選し、それまでの動きを気に入ってもらえて、お声がけをいただいて秘書として働くことになりました(笑)
秘書をすることで様々な業界のことや世間を知ることができて世界がぐっと広がったし、何より僕は猛之さんの人柄が本当に大好きでした。尊敬できる人の下で働くことで素直な心での学びがあったし「自分が会社を継いだ時にはこういう態度で部下に振舞おう」っていう上司としての心構えを教えて頂いた期間になりました。
——まったくの異業種ですが、それが今のお仕事にも活かされているんですね。
山梨県まで猛之議員を送り迎えした時があったんですが、長い距離を運転して夜も遅くなって、すごく疲れてたんです。それで自分でも気づかないうちに危ない運転をしてたんだと思います。猛之議員が言いました。
「健太郎くん、今度の日曜日に自分で運転しなくちゃいけないんだけど、最近運転してないんだ。練習したいからちょっと代わってくれない?」って。
——健太郎さんの運転を直接的に指摘するわけじゃなくて、あくまで”自分の都合”を理由にされたんですね。
そうなんです。そこで普通に「運転危ないけど大丈夫か?」って言われたとすれば「大丈夫です!」って返答以外ないだろうし、結果安全を確保するという目的は達せられない。
人のことを想ったり、相手に自分の考えを伝えるためにはどうすればいいかっていうのを間近で学ばせて頂きました。
その後どうなったかというと、結局は猛之議員が運転をして、私が後部座席に座って休むという普通ならありえない状況になりました(笑)
そういった経験を通じて今も日々「社員さんの立場ならどういう社長の下で働きたいだろう?」っていうことを意識することに繋がっています。
——健太郎さんは大脇建設に入る前も、入ってからもいろいろな経験をされていますが、そのすべてを自分の学びに変えている印象を受けます。
やっぱり人生、無駄なものは何もないですよね。何か経験したり人と出会ったりしたことが、仮にその時形にならなくても、次の場所で活かされたりする。
だからこそ今やっていることをまずは一生懸命にやるのが大事やなと思います。そうすることで、自分の人生を振り返った時にその都度「良かったな」って思えるんじゃないかな。
すべてを前向きに捉えて、白川町に貢献する
——紆余曲折しながら、たくさんの経験と出会いを通して大脇建設の代表に就任されたんですね。
たくさん学ばせてもらってきたけど、やっぱり会社の代表は大変です(笑)
自分より上の立場の人がいないというのは、下手をすれば道を間違えても指摘してもらえない可能性がある。そういう怖さとか、プレッシャー、大変さを日々感じます。
——きっと大きな責任や重圧がありますよね。
でも、事実は変わらなくても考え方ひとつで捉え方を変えることはできる。聞いたことがある話かもしれないけど、コップに水が半分入っている時それを「半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うかは、自分の考え方の違いだけです。
だから毎朝神棚に向かって「今日も1日、朗らかに、安からに、喜んで、進んで働きます。私に関わる全ての人が幸せになりますように」って言うようにしてます。そうやってプラスの言葉を率先して使って、前向きな考え方で取り組むように心掛けていますね。
——毎朝ですか…!自分なりの習慣をつくって、物事のプラスの側面を捉えられるように自分の考え方を日々つくっているんですね。
経営者には多角的な力を求められるから、自分の力の無さを感じることも多くあるし上手くいかないことももちろんある。でも自分が出来ないことが何かが分かっているからこそ、社員さんの活躍やさりげないフォローに気付くことが出来る。日々社員さん、みんなに感謝しながら会社が回っている感じです。
——「できない」というマイナスなこととされることも、健太郎さんにとってはプラスになっている…
そうですね。うちのような道路をつくったり維持するインフラの仕事は、たくさんの人が関わって、たくさんの人に影響を与える仕事なんですよね。社員さんはみんな「自分たちがこの地域を守る!」っていう頼もしい顔つきで現場に向かってくれるし、その背中を見るのはほんとに頼もしい。
だからこそ、頑張ってくれるその社員さんたちが「この会社で、この社長で良かった」と思ってくれるように、僕も日々頑張ってます。
——健太郎さん、社員さん、地域などがお互いに良い影響を与えあっている。まさに健太郎さんがこれまでの経験を通して学んできたことが、会社づくりにも活かされてるように感じます。
みんなで面白い会社をつくっていきたいし、関わってくれる人みんなから「大脇建設なら安心だ」って言って頂ける会社にしたいですね!
実は去年、45年ぶりに新卒の子が入社したんです!
その子のおじいちゃんが元々うちの会社で働いてくださっていて、そのご縁で入社してくれました。
今ある繋がりだけじゃなくて、会社の長い歴史で携わってくれた諸先輩方のおかげで生まれた信用や繋がりがある。そういったものを通して、白川町が抱える課題を解決できるような取り組みをこれからもやっていきたいです。
どんな話も優しく、笑顔でしてくれた健太郎さん。
「時代とともに会社を取り巻く環境が変わって、難しさもある。でもどんどん新しいものに対応して、みんなで面白い会社をつくっていきたい。そのためにも、社員さんが言ってくれることは常に真摯な気持ちで聞いています」
きっとこれからも大脇建設は、もっともっと人や地域と深く繋がっていくんだと思います。
その土台にある健太郎さんの人柄や姿勢に触れていると、忘れがちになる日々の彩りと大切さを、思い出させてくれるような気がしました。
【大脇健太郎(おおわきけんたろう) さん】
屋号 :ヤマコノ
出身 :蘇原
学校 :白川中学校、加茂高等学校、名古屋学院大学、東海工業専門学校
職歴 :岐阜トヨペット(株)、青協建設(株)、白川産業(株)、渡辺猛之参議院議員秘書、大脇建設(株)
趣味 :ゴルフの練習、動画を観ること、旅先での朝ラン、スイーツを食べること
読んでくれている人に一言 :記事を読んでくださりありがとうございます。私と一緒に面白いと思える会社を作りませんか?自薦他薦は問いません、連絡お待ちしております!
取材年月:2024年2月