建築家・デザイナーとして活動する塩月洋生(しおつき ようせい)さんは、2007年に名古屋から白川町に移住し、黒川地区に自宅として『ストローベイルハウス*』を自らの手で建築しました。
*ストローベイルとは、藁のブロックのこと。従来の家の骨組みの周囲を、ストローベイルでくるんで止めつけてぶ厚い壁にして、土で塗り固めた家を『ストローベイルハウス』という。藁、土、木という素材は断熱性などにも優れ、自然に還る環境にやさしい建築でもある。
ストローベイルハウスに興味を持ったことがきっかけで、お米をつくる有機農家と消費者を繋ぐ『はさ掛けトラスト*』を白川町で立ち上げた洋生さん。
*消費者である会員が出資することで、無農薬のお米をつくる農家を買い支える仕組み。主食である無農薬のお米を育て、その藁を使った建築(ストローベイルハウス)の魅力を伝えることで食と住、人の繋がりをつくることを目的に設立された。
現在は移住者も多く、たくさんの有機農家が集まる黒川地区。洋生さんたちの活動はその先駆けとなりました。
「白川町でのこの暮らしが、自分にとっての最終形かもしれません。毎日にすごく満足しています」
そう語る洋生さん。その暮らしをつくった想いと、これまでの経験をお聞きしてきました。
食と、住と、人が繋がる家づくり
——ご自宅の佇まいや立地のせいか、この場所だけ時間の流れがゆったりとしているような気がします。そもそも洋生さんがストローベイルハウスに興味を持ったのはどうしてなんでしょう?
雑誌の特集で初めて見た時に、衝撃を受けたんです。
それまで建築という「つくる」行為は、やりたかったことだし実際に勉強もしてきました。でも新しいものをつくると、同時に廃棄物も生み出してしまう。そういうジレンマを抱えていて。
–—–たしかに…今は時代の流れが変わってきたとはいえ、廃棄物の問題などはきっと他の多くの産業にも当てはまりますよね。
長男にアレルギーがあって、食品の添加物を調べたりしていたことも背景にありました。
ストローベイルハウスは、家づくりがお米づくりから始まり、素材になる藁や土は自然に還ってゴミにもならない。
元々、日本では藁でわらじや蓑(みの)をつくったりもしていて、衣食住が繋がる文化があった。そういうことを考えていると、ストローベイルハウスがすごくしっくりきたんですよね。「これだな!」って思いました。
–—–生活の基盤となるものを表した「衣食住」という言葉は、実際にそれぞれが繋がっているんですね。
それで、有機のお米づくりから始めるために『はさ掛けトラスト』を白川町で立ち上げました。
知人を通して紹介してもらったのが白川町で有機農家をしている西尾さん(西尾さんの取材記事はこちら)だったんです。会員の方を集めて出資してもらい、西尾さんたち有機農家に安心してお米をつくってもらう。そこで刈った稲の藁を、ストローベイルとして使用するという仕組みです。
——まさに洋生さんが求めていた「日本の文化」を、ひとりではなくみんなで体現したんですね。
食品や建築って、消費者の目に触れない部分も多いじゃないですか。食品にどんな添加物が入っているか、どうやってつくられているか、分からないまま業者の方に任せてどんどん自分と距離ができてしまう。
『はさ掛けトラスト』の活動は、関わった人が「お米や家づくりは難しいものじゃなくて、自分にも関われる」と身近に感じるきっかけにもなると思いました。
——たしかに…分業制になっているからこそ見えなくなっているものが「実は身近で繋がっている」と分かれば、自分自身の問題として捉えなおすきっかけにもなりますよね。
そうなんです。それで白川町にお米づくりをしに通っているうちに、移住してこの町で家づくりもすることになりました(笑)
週末だけ通うんじゃなくて毎日をこういう里山で過ごしたくなったし、すごく良い場所で人にも恵まれていたので!
ものづくりの要素が詰まった町で、役割を担って生きる
——-実際のストローベイルハウスの建築はいかがでしたか?
めちゃくちゃしんどかったですね(笑)
使用した木材は、木こりの人が山から切ってくれたものなんですけど、そこから手伝えるところはいっしょに作業しました。
木を切って、製材して、乾燥させる。僕はプレカット*じゃなくて昔ながらの手刻みでやりたくて、その刻む作業もいっしょにやりました。
*従来は大工が手工具で加工していた木造住宅の柱や梁の継ぎ手などを、加工機械で行うもの
——なんだか途方もない作業のように感じるんですが…
建前(たてまえ:建築での主要な柱、梁、棟木などの組み上げのこと)と屋根は業者の方にやってもらって、あとはスケルトンな状態から自分でつくりました(笑)
友人を呼んでいっしょに作業してもらったこともありますね。たくさんの人に協力してもらいましたが、農家さんにお願いして藁を集めに回ったり、自分で木材にカンナかけして使う材料を綺麗にしたり、それ以外に自分の仕事もやらなきゃいけないしでひたすら大変でしたね(笑)
——それはやっぱり、ストローベイルハウスへの熱意が原動力ですか?
それが大きいですが…まあやりだしたらもうやるしかないですよね(笑)
もし今「こういうのをつくって欲しい」って依頼されたら、無理だって答えると思います(笑)それぐらい心が折れそうだったけど、その代わりに自分が求めていたものやたくさんの繋がりができた。プライスレスな家づくりでした。
——先ほど『はさ掛けトラスト』が「家づくりが自分にも関われる」と身近に感じてもらうきっかけになって欲しいとのお話もありました。洋生さんはものづくりにおいて、自ら関わるということを大事にしているんでしょうか?
昔から、釘も打てるし設計もできる建築家になりたいと思っていました。大工さんが持っている基本の考えを知りつつ設計したいし、いろんなことを経験してみたいんですよね。
「山から家づくりするってどういうことなんだ?やってみたい」っていう感じ(笑)
——ものづくりにおける興味が、どんどん点から線に広がっていくというか。
建築だけじゃなくて、舞台の美術やデザインの仕事もやりますし、自分の興味に従って動いていますね。その興味の軸が、きっと”ものづくり”なんだと思います。
それに田舎暮らしって、ものづくりのいろんな要素が詰まってると思うんですよ。薪をつくったり、家の修繕をしたり、機械が壊れたら直したり、みんないろんな技術を持って生活して支え合っている。
自分も、地域のなかでそういう役割を担える人間で在りたいなって思います。
「今の暮らしが最終形」
——洋生さんは幅広いお仕事もそうですが、白川町でのサウナづくり(https://unilog.jp/)や、東座保存会として地歌舞伎にも参加されるなど、たくさんの活動を通してまさにその役割を担っていると思います。今後やっていきたいことなどはあるんでしょうか?
そうですね…
最近思ったんですけど、たぶん僕は「あと〇〇年で人生が終わるならどうする?」って聞かれても、今のこの毎日を過ごすと思うんです。
家族と過ごして、毎年お米をつくったり、日々薪を割ってお湯を沸かして料理したり。今はすごく良い状態で、もしかしたらこの暮らしが自分にとっての最終形なのかもしれないなって思います。
——すごく、すごく素敵です。
だから、語れる夢は今は特にないんです。
未来のために今があるというより、自分の興味に従って日々いろんなことをして過ごしていきたいです。
最近は長男が大学生になったんで、ちょっと張り合ったりもしていますね(笑)年齢を理由に諦めるのは、なんだか嫌なんです。
家づくりを通して、自らが求める暮らしをつくった洋生さん。
「自分が好きなことで、社会や地域に貢献する仕組みをつくっていきたい」
つくることの可能性を広げるその背中は、きっと多くの人の道しるべになると思います。
【塩月 洋生(しおつき ようせい) さん】
出身 :宮崎県
学校 :宇都宮大学
職歴 :有限会社センコー社、クウスムデザイン、一般社団法人さとやまデザインファーム
趣味 :里山暮らし、サウナ、音楽
読んでくれている人に一言 :白川町は推せる!
取材年月:2024年5月