蘇原地区の“上田”という集落で、山菜やジビエ料理、郷土料理などの「山を身近に感じられる」料理を提供する『野田郷(のたごう)』。
創業者の土井義和(よしかず)さんは、37歳の時に奥さんの実家だったこの場所でお店を始めました。今年で86歳。現在は地域の歴史を研究するために古文書の読み方を習うなど、精力的に活動しています。
「地域の風土ができるには、1000年以上かかる。自分が生きてる時だけじゃなくて、そういうものを大切にする心っちゅうのは、必要じゃないかな」
これまでの数々のご経験と、山と歴史に触れるなかで生まれた「生きざま」を語ってくれました。
『山志向』から始まるお店づくり
——ほんとに素敵な場所、雰囲気ですね。義和さんが『野田郷』を始めたのは、どういった経緯だったんでしょう?
それまでは製材所で働いて生活の糧にしてたんですけど、37歳の時かな、この店を始めた。やっぱり「自分で何かしたい」という気持ちがあったし、山を大事にしたいっちゅう『山志向』があった。

山のなかにあり、ここだけの景色や風情を味わうことができます
——山志向、ですか。
昔は賃金を得るために、百姓以外にも山仕事があってね。自分も小学生の頃には薪を背負って出したり、山菜を採ったり、草木を畑や田んぼの肥料にしたり、そうやって山にすごく助けられた。炭小屋へ行ってクズの炭をもらってきてコタツに入れたりね(笑)昔は遠くから山を見てると、炭小屋があるから何ヶ所も煙が出てた。
子どもながらもいろいろ手伝わされたし、楽しかったですね。
——山で生きることが、義和さんの土台にあるというか。
そうですね、それで家内の在所(「実家」の意味)が、誰も住んでいなくて空き家になってた。それまでの蓄えもつぎ込んでそこを手入れして、どうにか店をやれるようにした(笑)
途中から許可を取って、旅館みたいな形で年中やれるようにしたけど、2組も来れば満席になっちゃう。「これは困ったな」と、それでどんどんどんどん広くしていった。昔は建築関係に関わっとったもんだから(笑)

高校では林業科に進み、その後は建築や製材に関わったといいます
——すごい、ご自身で増築していったんですね。
今いるところは最初につくったんですけどね、当時は濡れ縁(ぬれえん:雨風にさらされる板敷のスペース)だった。
ところが、当時の岐阜県副知事が来るって言われて。副知事が動くと、地元の町長とか村長がみんな来るんですよね(笑)でもその日は泊まりのお客さんがいて、この場所しか空いてない。まあ大丈夫だろうってことで、この屋根のないとこでやった。若い時っちゅうのは冒険もしますね(笑)雨が降ったらえらいこっちゃ(笑)

お話を伺った、当時「濡れ縁だった」という場所
うち流の、観光地化されない場所
–——雰囲気含めて、みんなが来たくなるものがありますよね。
まあ、本当に一時はよく流行りましたね。10月~12月なんて、一気に予約で満席になってね。
僕は料理についてはまったくの素人で自由奔放につくったもんだから、そこらへんが「変わったとこやな」という印象を持たれたのかもしれませんね。頑固にうち流で、山を大事にして山の雰囲気を味わってもらうっていうのがあってね。観光地化されない場所というか。こんな小さなところでも、下呂に対して対抗心を持ってましたね(笑)
若い頃から「人様がやってできないことはないだろう」という考えがあって、何でも挑戦するというのはありました。
——見習いたい考え方です…!(笑)料理も、山を大事にしたものですか。
山菜やとかね、鳥ね。益鳥は禁止されてるけど、許可されてる輸入品を出したりしましたね。
この地域は歴史的に、昔からずっといろんな鳥を食べてたから。渡り鳥の通路になるって言われてて、そのシーズンになると本当に空が暗くなるほどだったんです。子どもの頃にあれを食べたら美味しかったでしょ!だから忘れられないもんで、秋の季節が来ると鳥が食べたい食べたいって(笑)そういう人たちがたくさんいてね。

野田郷さんで提供される、郷土料理の『五平餅』。今は竹串ですが、昔は木の枝を削って串にしていたそう
——義和さんと同じ、山好きな人たちが集まってくるんですね。
そしたら今度はイノシシが食べたいって(笑)でも当時は今ほどいなくてね。
雌の豚に、雄のイノシシをかけ合わせたら『イノブタ』っちゅうのができるんです。イノシシ肉よりも安くて旨いと。それでちょっとした囲いをして、イノシシを20頭ぐらい飼ってましたよ。こういう環境だから飼えたんですね。そしたらまた、それを求める人たちが来ましたね(笑)
——いろんな活動やチャレンジをされてきたと思いますが、特に印象深かったことってありますか?
暇な時期に、自分でいろいろしたのは楽しかったですね(笑)炭窯つくったり、小屋つくったり、石積みをやったり。ユンボの操縦も覚えて石積みをやってね(笑)
今も山のなかを歩いとったら、あんなとこに石積みがあるって。そんなことをやるのは自分しかいないもんだから「これはあの時のやつだ」って思い出したりね(笑)
長年ここで過ごしたことで、ここがふるさとになってしまったね。うん、死ぬまでここにいたいなと思いますね(笑)

見えるのは、義和さんが75歳の時に基礎から自分でつくったという小屋
周囲30キロの「自分の生きざま」を知っておく
——話は変わりますが、義和さんは古文書の読み方を習っていると聞きました。
そう、79歳から始めた(笑)やっぱり歴史を知るためには、江戸時代の古文書を読めないと理解できないですよね。
——歴史はずっとお好きだったんですか?
子どもの頃は囲炉裏を囲んでね、お年寄りが話をするの。昔の話とか、誰が町のほうへ行って出世したとか、そんな話が耳に入って来てね(笑)そういうので興味を持ちだしたんだと思いますね。
僕のおばあさんは、明治3年生まれの人だった。親に聞いてるから、おばあさんからは江戸時代の話が聞けたんだ。中学校卒業頃まで生きとったんで、当時からもう少し歴史に興味があればいろいろ話が聞けたのに、とは思いますね。

「古文書を残すのに、まちの人にもぜひ協力して欲しい」と語ります
——曾祖父母が江戸時代の人ということですね…今「歴史」と呼ばれるものが、義和さんの周りには生きたものとしてたくさんあったというか。
歴史を調べるにあたって、まず地元の上田集落を1軒1軒調べたんです。年配の人から話を聞くのは楽しいですね。どこどこに道があって、どこどこからおれは来たとか。家系図なんかも見せてもらったり。
そしたら上田っちゅう集落は、みんなすぐ近くからお嫁さんに来てるんですね(笑)話を聞いてると「ここでは悪口言えんぞ、みんな親戚だって」言われてね(笑)
——歴史を好きな人って、家康とか秀吉とか、偉人と呼ばれる人から興味を持つことが多いと思うんです。でも義和さんは興味を持ち始めた時から今も、ずっと身近な歴史を知ろうとされていますよね。
大の(大きな)歴史の話よりもね、地元の人たちの話が面白い。
司馬遼太郎は小説のなかで「自分の生まれたところの30キロ以内ぐらいは詳しく知っておいたほうがいい」というようなことを言ってるんですね。そういうのが自分の考えの元にありますね。
自分の生きたところのこと、自分の生きざまっちゅうのか、そういうことを知っておくのは大事だと思います。今は隣の人すら知らない人もいる。そういう世の中に将来性があるのかな、と。

「生まれたところの川や山、田んぼ、住人の名前ぐらいは、知っててもいいんじゃないかと思いますね」
「知るために、生きたい」
——生きたところが、生きざまかぁ…
白川村の白川郷に初めて行った時ね、あそこは他の町にはない、異様な雰囲気がありますよね(笑)何ていうのかな…ああいう風土ができるのには1000年以上かかる。
普通の環境では、100年もすれば風景ができる。でも風土だけは、気の遠くなるような年数が経たないとできない、生まれない。
——「風土」というと、風景だけでなく、雰囲気や文化、歴史みたいものが混ざりあったようなものですか?
そうそう、それだけ時間がかかる。
——たとえば義和さんが調べる地域や個人の歴史も、その「風土」に繋がっている?
そう、そういうのも含めてできる。
自分が生きとる時だけじゃなくて、100年後200年後のことも考えてもらいたいという気持ちがありますね。

野田郷の敷地内にある、昨年亡くなったという義和さんの奥さんの碑(いしぶみ)。「本当なら今日ここで、話に加わったと思います。お喋りだったもんで(笑)」
——歴史を知ることで義和さんが感じることって、どんなことですか?
やっぱり、生きる勇気が出てきます。何歳になっても、古文書の漢字1つが、辞書やいろいろ調べて分かった時は嬉しいですよね(笑)いろいろ悪戦苦闘してます(笑)
世の中のことを、深く、長く、1000年も2000年もかかってできたという見方をして、せいぜい生きて100年ですが、その生きてる間にいろいろやっていきたいですよね。
——今の目標はありますか?
もうね、生きたいです(笑)死にたくないですね。
やっぱり知りたいです。それが生きることに繋がる。知らないことを知るっちゅうのは、嬉しいです。すべてを知るなんてことはできないけど、自分で知りたいと思ったことを知りたいです。

「生きたい」と真っすぐ語った義和さん。
地域の自然や歴史の大きな流れの一部であることを自覚しながらも、自身の未来を見据えるその姿勢に、惹きつけられる時間でした。
【土井 義和(どいよしかず)さん】
屋号 :野田郷
出身 :蘇原地区
学校 :岐阜農林高等学校
職歴 :製材業
趣味 :ものづくり、車で知らないところを走ること
読んでいる人に一言 :古文書が自宅にある人は、ぜひ残すのにご協力ください。
取材年月:2026年3月
※記事の内容は取材当時のものです。

