こだわりのベビーカステラを中心に、ドリンクや郷土料理であるけいちゃんを販売するキッチンカー『BAN’Zキッチン(バンズキッチン)』。営業する板頭めぐみ(いたずめぐみ)さんは、元々は愛知県小牧市出身。結婚・出産を機に旦那さんの実家である蘇原地区切井に移り住みました。
キッチンカーの他にも、毎年4月にはマルシェ『さくらのまつり』の主催に携わるなど精力的に活動するめぐみさん。
「移住して10年目だけど、来た当初からもっと町を盛り上げたいと思ってた。なんでこんな良い町なのに、若い人がもっと動かないの?って」
その想いの強さや行動力がどこからくるのかを知りたくて、お話を伺ってきました。
直感で始めたキッチンカー
——『BAN’Zキッチン』は2022年の9月から営業を始められたとお聞きしました。元からキッチンカーに興味があったんでしょうか?
全然!(笑)小牧の友だちがやってたんだけど、私はまったくキッチンカーをやりたいなんて思ってなかった。
当時働いてた会社が、イベントをするのにキッチンカーを借りて鶏ちゃん(けいちゃん/岐阜県の郷土料理)を振舞うことになったのがきっかけかな。

取材の日は旦那さんとお2人での出店です
——そのキッチンカーの営業をめぐみさんが担当したんですね。
そう、それがめっちゃ楽しくて。土砂降りのなかでお客さんも少なかったんだけど、面白いしキッチンカーやるのありかも…!って。
当時はパートで働くことの限界を感じ始めてて、子どもが大きくなったタイミングで自分が何をやりたいのか考えてたのもあったのかな。それで、どうせ自分のやりたいことをやるなら自分でチャレンジしたいと思って、社長に「ちょっと私キッチンカーやりたいと思ってるんで辞めます」って言った。
–—–え、もうですか?
社長も「良いじゃん、応援するよ」って言ってくれて。
–—–もうですか…
急いで車屋さんを探して、車が仕上がる時すぐに営業をスタートしたいからもう全部準備をその時期に詰めて、早かったよ。とにかく急ピッチで、思い立ったらすぐというか。あんまり深く考えずに、直感で「こうしたいな」って思ったら止まらない。
当初は鶏ちゃんの販売を考えたけど、「B級グルメよりもメジャーなものを売ったほうが良い」ってキッチンカーの先輩たちからアドバイスをもらって、ベビーカステラを勧められた。ベビーカステラだったら、特産品の白川茶とかを使えるかもしれないって思ったのも選んだ理由だったね。

町内産のはちみつを使った、もちもちのベビーカステラ。商品をつくるまでの期間はとにかく試作を繰り返し「もうキッチンカー自体を辞めたいと思うくらい焼けなかった(笑)でもやるしかないもんね、車も、焼き台も買っちゃったし」
——それだけの行動を起こすものが、キッチンカーにあったんでしょうか?
やってみて面白かったし、とにかく楽しそうじゃん!待ってるだけじゃなくてこっちからいろいろと行けるし。
それにキッチンカーで町外に出て行くんだったら、何かしら白川町のものを発信できないかと思って、白川茶と町内のはちみつ、それは絶対使おうと思った。町には良い物があるのに、外に行くと白川茶とかもみんな全然知らないの。私も小牧にいる時はぜんぜん知らなかったんだけど。
高校生からの家出、転々とした日々で気づいたこと
–——心の中にあった町を盛り上げたい気持ちと、キッチンカーが結びついたのもあるんですね。その行動力は昔からですか?
昔から、かな?
私、高校生の時に家出して20歳まで帰らなかったの。親の言うことが絶対っていう家庭で、生活も勉強もとにかく世間体を気にする感じで「こうしなさいこうしなさい」って。私は勉強もしないし、反抗するから余計に思いっきり押さえつけられた。「たぶん私はこの家の娘じゃないんだ」って思ってたぐらい。
ずっと子どもの頃から嫌で「絶対いつか出てってやる」って思ってたのが、その時バン!って爆発したのかもしれない。

今は両親とも仲良く「当時のことをお互いに笑い話にできるぐらいになった」と語ります
——家を出てからはどうされたんですか?
友だちの親がやってた居酒屋の2階に住ませてもらって、高校も通った。そこのお母さんがすごい面倒見の良い肝っ玉母ちゃんで、「ちゃんと高校は卒業しなさい、ここで住む代わりにうちでバイトしなさい」って言って、居酒屋でバイトしてご飯も食べさせてもらった。
そうやって人に良くしてもらって、卒業してからは22歳の時にその店舗を任せてもらって、28歳まで働いた。
——長い期間働いた場所から離れたんですね。
10年間ずーっとすごいエネルギッシュな人たちに囲まれてて、世間を何にも知らずにそこだけで頑張るっていう空気感の中で「私このままじゃ生きていけなくなるかもしれない」って思って、そこを出た。出たら、ほんとに何も知らなかった。28歳で「年金って何?」みたいな(笑)
「これはダメだ、ちゃんと生きていかないと」と思って、それで何がしたいんだろうと思ったけど何もないから結局いろいろとバイトしてるわけ。縁があって2年ぐらい京都に住んでみたり、いろいろ転々として、30歳で周りは結婚とかしてる年なんだけど。

当時も仕事はすべて飲食業だったのこと。「どの仕事も、今ここに来るためにやってたのかなって思うことがいっぱいある」
——町を盛り上げようとする今のめぐみさんとは違う生き方ですけど、お話を聞いているとめぐみさんらしくも思えます。
このままずっと自由に生きていこうと思ってたら、今の旦那に出会って。それまでは働く場所はどこでもいいと思ってたんだけど、そういうのもやめようと思った。
当時の私ってたぶん、小牧があるからどこでも行けたんだと思う。白川町もそうだけど、結束力が強いじゃん?私も10年働いてたお店のこともあって、周りには助けてくれる人がいっぱいいて。先輩なり後輩なり、同級生ももちろんだけど、お客さんもいろんな職種の人がいっぱい可愛がってくれて、そういう安心する場所があるから自由に動けたんだなって思う。
「良いところだね」で終わらせない
——転々と動くことで、自分の原動力が”小牧という安心できる場所”であることに気づいた、と。
結婚する前から旦那はいずれ帰るっていうのは言ってたから、いっしょに白川町に遊びに行った時に同級生や友だちを紹介してもらって、その人たちとご飯食べたり飲んだりして仲良くなってね。みんなすっごい良い人たちで、めっちゃ居心地が良い場所で、ここで子どもを育てたらこういう風に育つんだろうなぁって思った。子どもが大きくなって多感な時に引っ越すよりも早いほうが良いと思ったのもあって、私が「もう今引っ越そう」って決めた感じ。
——白川町が、めぐみさんの”安心できる場所”になったんでしょうか?
なんだろうね。小牧から離れないって決めとったんやけど、白川町にポンって変えられた感じ(笑)今も小牧は何ヶ月かに1回行って、安心する場所ではあるけどね。
ただ私は、白川町を一生出て行く気はない。嫁としてこの町にきて、不便なこともあるし、プライバシーも何もないことに最初戸惑った。「え、なんか全部知られてる!?」っていうぐらいでしょ(笑)でもそういうところに覚悟を決めて来たから、出て行く人の気持ちが分かんないの。

「それぐらい腹をくくってき引っ越してきた」と振り返ります
——覚悟、ですか。
義理の両親とうまくいかなかった時期があって、その時に旦那が「無理せずに小牧に帰ろう」って言ったの。私を助けてくれようとして言ってくれたのは分かってたけど、旦那のその言葉にムカついて「白川を出るつもりはない」って怒った。
ここで子どもを育てたいって思って覚悟を持って来たんだから、もうそれは絶対。ここで楽しもうと思ったのが私の人生。だから簡単に「出て行く」なんて言うなよって思った。「”住む”ってそういうことじゃないの?」って思うっていうか…なんだろうな。めんどくさい考え方かもしれんけど、私はそういう性格で。
——地域で暮らすと、都会との違いや不便もたくさんありますよね。めぐみさんにとって”住む”とは、良さも悪さも全部受け入れたうえでそれと向き合っていくということなのかな。
好きなんだよね、この町が。なんだか自分に合ってる気がする。
移住して10年目だけど、来た当初からもっと町を盛り上げたいと思ってた。なんでこんな良い町なのに、若い人がもっと動かないの?って。上の世代の人たちの言うことが絶対みたいな町の雰囲気が、いや違うでしょうと。上が強過ぎるから、もっとこっちがパワーアップしていかないとって思う。

「人見知りだけど、こっちですぐ友だちもできた。不便だと思ってたのも住めば慣れる。めっちゃ居心地が良い」
——きっと白川町を好きだからこその視点ですよね。
キッチンカーもそのきっかけになれば、っていうのが自分の中でちょっとあったのかもしれんね。発信していけばいいじゃん、自分でって。「なんでみんなやらないの?」じゃなくて自分がやればいいんだって思った。
白川茶を掲げてカステラとかドリンクをやってると、「私も白川出身なんですよ」っていうお客さんがけっこういて、白川町を知ってる人がいろいろ声をかけてくれるようになって。「みんな帰ってきてくださいよ!」って私が言うの。そしたら「良いところなんだけどねぇ…」で終わっちゃう。良いところだからこそ「良いところだね」で終わるんじゃなくて、守るところは守って新しくするところは新しくしてやっていこうよって思うんだけど。
——年代はもちろん、人によって感じることや「良い悪い」は違いますよね。町のためにそれぞれが思う「良い」を目指すからこそ、ぶつかることもあるし、変化することもある。
そういう町のことについて話してて、気が合った子といっしょになって去年始めたのが『さくらのまつり』。(以前ヤゴーシラカワでも取材した田口さくらさんらと主催)
コロナ禍で地域の祭りが縮小して、そこからずっと現状維持、現状維持。他にも田舎だけのずっと残ってる風習とか、世間体がどうとか、なんかそういうことも含めて全部変えていかないとダメになるんじゃないかって思ってる。

2024年4月に初めて開催された『さくらのまつり』の様子。お菓子まきに子どもたちが大盛り上がりです
——これを読んで共感する方も多いと思います。
ずっと「やりたいね」って言い合ってたのが、ようやく去年からできた。白川町は秋に『ふるさとまつり』(毎年10月に開催される、町最大のイベント)があるから、春は『さくらのまつり』っていうふうにして、白川町を盛り上げるイベントの1つにしたいの。
毎年続けて、町外からも人がいっぱい来るイベントにして「この子ら頑張ってるな、応援してもっと町を盛り上げよう」ってなったらいいね。
——それだけ、町をより良くしていくことが”できる”という気持ちがめぐみさんの中にあるんでしょうか?
変えたいと思うけど、簡単に変えられるなんて思ってないよ。でも、変えたらもっと良い町になるんじゃないかなって信じてる。
まっすぐな言葉と行動力。力強いのに、根底に町を想う気持ちがあるそれらはやさしく、温かい気がします。
取材の最後にはこれからやりたいことも語ってくれためぐみさん。どんな困難もその行動力で切り開いていく未来が、楽しみで仕方ありません。
【板頭 めぐみさん】
屋号 :林屋
出身 :愛知県小牧市
学校 :小牧高等学校
職歴 :飲食店
趣味 :お酒を飲むこと
読んでくれている人に一言 :みんなが大好きな白川町。良いところは残して、それプラスみんなで良くしていって、みんなで盛り上げていって、更に良い白川町にしていきましょうよ♡この白川で一緒に楽しく過ごしたいです♡
取材年月:2025年3月
※記事中の年数等は取材当時のものです