白川町蘇原地区を拠点に、カメラマンとして活動する奥村凌大(おくむらりょうた)さん。
高校進学を機に、下宿をするために地元白川町を離れた奥村さん。現在は地元に戻り、個人としてはカメラマンの仕事を、会社員としてはカメラの技術を活かした企業広報の仕事を両立して行っています。
「どっちの仕事も、自分ひとりで好きにやってたら大学生の時に声をかけてもらったんです。最初は仕事になるなんて思ってなかったです」
趣味を仕事に変え地元で活躍する奥村さんに、その経緯や想いをお伺いしてきました!
居心地の良い白川町に戻ってきた
——奥村さん、今日はよろしくお願いします。
お願いします!
——個人の活動としてカメラマンをされているということなんですが、どんな活動をされているんでしょうか?
動画や写真撮影をしていますね!
企業の採用動画や商品紹介の動画、個人の方の七五三や結婚式の写真を撮ったりしています。いろいろできるので、ちょっとした撮影でも呼んで欲しいですね!
——幅広いんですね!白川町に戻ってきたのは、社会人になったことがきっかけだったんでしょうか?
いえ、流れ上戻ることを決めた、という感じです。
大学4年生までは岐阜市で一人暮らしをしていたんです。卒業後に勤める予定の会社も岐阜市内にあり、そのまま岐阜市にいるほうが近かったんですが…個人で活動するための撮影機材がたくさんあって、それを狭いアパートに置けなくて…(笑)
——学生の頃からカメラマンの仕事をされていたんですね!たしかに実家だとスペースがありそう…
はい、個人の活動は大学2年生の頃から始めました。
高校、大学と岐阜市に住んでいて、大学4年生の冬にちょうどアパートの更新があったんです。狭くて機材置けないし、更新もめんどくさいし、白川町の実家に帰ろうかなと(笑)
——なんだか気持ち分かる気がします(笑)
実家の近所には佐伯好典*さんが住んでいて、たくさん話を聞いて学ぶこともできるのもあり戻ってきました。
※佐伯好典さん:カメラマンとして活動しており、白川町議会議員を務める。
——実際戻ってきて、いかがですか?
気持ちが落ち着いて、居心地が良いです!
岐阜市にいる時はずっとパソコンを触っていて、急かされている感じでした。「もっと撮影の勉強しなきゃ!」ってプレッシャーを感じていて。
白川は山があって、自然が多くて、そのプレッシャーから解放されて自由に時間を使えている気がします。
——結果として白川町の自然豊かな環境は、奥村さんが働くうえで必要なものだったんですね!
YouTube投稿から始まった撮影生活
——写真や動画は学生時代からされていたんですか?
中学生でYoutubeの投稿にハマったのがきっかけですね。地元の友だちといろんな動画を撮っていました。
——どんなものを撮っていたんでしょう?
子供用のおもちゃの車に乗って、地元の下り坂を『だれが一番速く下りられるか選手権』とか(笑)
後は結婚式の余興をYoutubeで観て「これなら作れそうやね」ってみんなで話し合って、それを真似たりしていました。めちゃくちゃしょうもないですよね(笑)
——その遊びが今の仕事に繋がっていると思うとなんだかすごい…
その後誕生日にミラーレスカメラを親に買ってもらったんです。当時は合成にハマりました。背景が緑色だと合成できるの知ってますか?
——あ、テレビの撮影とかでやってるの見たことあります!
布屋さんで買ってきた緑の布を背景にして、撮ったものを合成していました。今考えるとよく分からない動画を作っていましたね(笑)
中学校の夏休みの作品も、合成した動画です。みんないろんな作品を展示していましたが、僕の展示はDVD一枚をぽつんと置いただけでした(笑)
——シュールというか何と言うか…(笑)
おかしな奴ですよね(笑)
自分の限界を知るまでやり切った高校生活
——撮影や動画制作は高校に入ってからも続けたんですか?
そうですね。でも高校は部活がメインでした。
親戚のおじさんが競輪選手で、自転車をやってみたいなと思って本巣市の学校に行きました。岐阜市の親戚の家で下宿させてもらって、個人と団体でインターハイにも出場しました。
——インターハイ!!すごい!部活は大変だったんじゃないですか!?
きつかったですね…おかげで自転車のことが少し嫌いになりました(笑)
でも写真は好きで続けていました。インターハイに出た時も、会場で写真ばっかり撮っていたら「お前写真撮りに来たんじゃねーやろ!」って顧問の先生に怒られました(笑)
——そんな大舞台でもカメラに気持ちが持っていかれていたんですね(笑)ちなみにインターハイの結果は…?
団体の部は4位でした。でも1位を狙えるタイムだったんですよ!優勝だと思っていたらまさかの4位に転落して…その結果がメンタルにきて、個人の部はぼろぼろでした。僕めっちゃ引きずるタイプなんで(笑)
——分かりやすく影響が出てますね…でも優勝してたかもしれないなんて、すごいです!
インターハイが終わって、オリンピック会場を使って開催される大きな大会が高校最後にあったんです。
個人の部に出て、レース中ずっと1位だったんですよ!先頭集団を1人で引っ張っていて、会場の人みんなが優勝するのは僕だと思っていたんですけど、ゴールの20メートルぐらい手前で8人ぐらいに一気に抜かれて…萎えました(笑)
それで自分の限界を知って、自転車はやり切った気持ちになったんだと思います。
——なるほど、上には上がいるというか…
そうですね。
大学に入って暇になって、好きなカメラで遊んでいたんです。Instagramでいろいろアップしていたら、大学二年生の時にDMで声をかけてもらいました。その撮影でお金をもらって「あ、これ仕事になるんや!」って。それでより熱が入っていきました。
——それがカメラが仕事に変わるきっかけだったんですね!
はい、今の会社も当時の活動から繋がりました。
元はバイト先の会社だったんですけど、イベント事がある時に写真を撮っていたら「広報やってくれないか?」って誘ってもらったんです。バイトはカメラとまったく関係ない内容だったんですけどね(笑)
写真を撮ることは、誰かのために動くということ
——ずっと続けていたものが繋がっていったんですね。趣味が仕事に変わって、何か変化はありましたか?
プレッシャーがすごいですよね(笑)それまで気楽に撮っていたのが、結婚式なんかは一生に一度のものを撮ることになるので。
後は、人によって『写真の捉え方』が全然違うんですよ。自分が良い写真だと思っても、相手にとっては違ったりとか。
——たしかに、依頼する人それぞれの見方がありますよね。
仕事では、『相手にとっての写真の捉え方』を考えないといけないので、そこは難しいですね。
でも撮っている時はやっぱり楽しいし、編集が終わった時は達成感がすごい!お客さんの喜ぶ反応を見た時はめちゃくちゃやりがいを感じますね。
自分も楽しくてお客さんも喜んでくれたら、お互いが幸せになるじゃないですか!自分のためだけじゃなくて、誰かのために動けるのはすごく気持ちが良いです。
——そんな気持ちで撮ってくれるとお客さんも嬉しいですよね!印象深いお客さんの反応はありますか?
撮影した時だけじゃなくて、1年後とか2年後にInstagramのストーリーで写真を使ってくれた人がいて、それは印象に残っていますね。そういう長く続く関係は余計に嬉しいです。
会社員としての仕事もあってほとんど休みがないですが、撮影がリフレッシュになっています!
——まさに天職という感じですね!
どうでしょうね(笑)でもまだまだ依頼が少ないので、もっと活動できればより楽しくなると思います。
ただ『誰かのために』っていう意識は、カメラを仕事にする前後で変わっていないです。
中学校の時に野球部の写真を撮ったり、卒業式のスライドショーを作ったりしたんです。その時みんなが喜んでくれたことで『誰かのために動く楽しさ』が芽生えたのかもしれないですね。
——プレッシャーや難しさが変わっても、奥村さんにとっての芯は中学生の時と変わらないんですね。最後に、今後やっていきたいことなどをお伺いできますか?
白川町で写真館を作りたいです!何か記念の時じゃなくても1年に1度は写真で思い出を残して欲しいと思っていて…写真館が白川にあれば、町の人たちも気軽に写真を撮ることができるようになると思うんです!
後は、人をたくさん呼べるようなイベントにも関わっていきたいです!
——イベントですか?
イベントを考えるのが好きなんです。大学生の時は学園祭実行委員に入っていたんですが、花火の打ち上げを企画したり、学校で使える食券を事前にたくさん配ったりしました。それもあって学園祭では過去最大級の来場者を記録したんですよ!
——過去最大級はすごい!YouTube企画にトライしていた中学生の時から『イベント好き』がつながっている気がします。
写真と絡めて、出張写真館をマルシェに出店したらみんな喜んでくれそうだし!
いろんなことやっていきたいです!
冗談を交えながら、柔らかい雰囲気でお話してくれた奥村さん。
「たまたまが重なった、バラバラな人生」とご自身のこれまでを振り返りましたが、そこにはどんな時も自分の『好きなこと』とそれを支える『誰かのために』という想いがあるように感じました。
奥村さん、ありがとうございました!
【奥村凌大(おくむら りょうた) さん】
出身 :蘇原地区
学校 :岐阜第一高校・岐阜協立大学
職歴 :映像制作会社、発達支援施設、工務店広報
趣味 :仕事
読んでくれている人に一言:あなたの素敵な瞬間撮ります。
取材年月:2023年03月