白川村と言えば、白川郷。
そしてここ白川町と言えば、白川茶。この町では、世界遺産に負けないぐらいの美味しいお茶を飲むことができます。
白川町にある道の駅『美濃白川ピアチェーレ』
ここでは、地域の特産品である白川茶を自社工場で製造加工し、30点以上販売しています。その茶工場でお茶を作っているのが、山口将司(やまぐちまさし)さん。
「お茶ひとつ作るのに、神経をすごい使う。もう五感で作るしかないもんで」
気候や競売の関係で、年によって仕入れることのできる茶葉はまったく違います。何百種類の茶葉を1年に1度仕入れ、それを時には10種類以上ブレンドし、いつもの『ピアチェーレのお茶の味』を再現する。まさに職人の仕事です。
その仕事を先代から引き継いだ当初は、
「ピアチェーレ、この味で大丈夫か!?っていろんな生産者やお客さんから言われた」と、地元の方から受ける期待やプレッシャーを乗り越えるのに苦労したことを教えてくれました。
地域の特産品を仕事にし、地元のお祭りや小学生へのお茶教室などの地域活動も行う将司さん。
「きっと仕事や地域に対して熱い想いを持っているに違いない…」なんて勝手な想像を膨らませながら、お話を伺ってきました。
『配達員』として入社した場所で、お茶作りをすることに
——まずは、将司さんが『お茶』に関わろうと決意したきっかけはなんだったんでしょう。
それはないかな。偶然。ここまでずっとたまたまで来とるだけやで。
——たまたまですか!
当時印刷会社で働いてた先輩が「将司、ピアチェーレで求人募集しとるぞ。配達の仕事って書いとるし、お前配達ならできるんじゃないか?」って言ってくれて。
印刷会社って求人の印刷をするもんで、いち早く情報がいくやんか(笑)それで教えてくれてね。
——配達の仕事でピアチェーレに入社されたんですね。
入社してから経験として配達、事務所、お店、他にもレストランやハム工場と一通り仕事させてもらうなかで「お茶の仕事をやりたい」って会社に伝えた。会社は他にしてもらいたい仕事があったみたいだけど、押して、押して押して「お茶の仕事やらせて!」って。
——それで押し切ったわけなんですね…すごい熱量に聞こえますが、元からお茶には興味があったんですか?
子供の頃からお茶を飲むのは好きやったけど、仕事にしようと思ったことはなかったよ。
熱量というよりは、わがままやね。ピアチェーレの中で仕事をするなら、他のどの仕事よりもお茶をしたい。いろいろ経験させてもらうなかで、お茶に一番興味がわいた。
——その時自分が「興味のあること」に、真っすぐ進んで行ったんですね。
そうやってわがままを聞いてもらって、今の仕事に出会うことができた。この仕事をさせてもらってほんとに嬉しいね。楽しいしやりがいがある。
苦労も不安も、どうせなら楽しみたい
——白川茶は白川町の特産品です。それを仕事にするのは、地元の方からの期待やプレッシャーも大きいと思います。
先代から引き継いだ当初は、苦労したよ。退職した先代に味見してもらったりもしたけど、それでも不安しかなかった。そこから経験を積んで、だんだん「美味しい」って言ってもらえることへの喜びが、不安を上回るようになってきた。
引き継ぐまでに5年、そこから不安を乗り越えるまで3、4年かかったかな。
——足かけ9年ですか!伝統あるお茶の味を守る苦労がよく分かります。
そうやね。でもせっかくなら、楽しみながらやりたいよね。
「お茶の特産品を無くしたくない」とか「茶畑のきれいな景観を無くしたくない」って考えて行動すると苦労もするし、それがほんとに正しい行動なのかどうか不安もある。それでも、楽しみたい。
それは仕事以外でも思う。
楽しいだけのものなんてなくて、苦労はどんなことにもある。そしてできるならその苦労も楽しみたい。
——「苦労も楽しみたい」という気持ちを持つことと「どんなことにも苦労がある」と受け入れることですか。
消防団の活動とかも同じかな。訓練は大変なこともあるけど、せっかく消防団に入って活動してるなら、ちょっとでも思い出に残ったり楽しめることをみんなとしたい。だから訓練の後の宴会でみんなを楽しませよう!とか思うね(笑)
おれは先頭に立って何かをするというより、そういうサポート的なことしかできんけど、それも大事かなって思ってる。
——その気持ちが、将司さんが関わっている地域活動(地域のお祭りや小学校でのお茶教室)にも繋がっているんでしょうか?
そうやね。いろいろ想いを持って行動してくれる人がいる。地域を盛り上げるために祭りを企画したり、子供たちにお茶の魅力を伝えるために授業をしたり。そういう人たちに共感できるところがあれば応援したいし、どうせやるなら一緒に楽しみたいよね。
白川茶に誇りを持ってもらえるように
——将司さんの生き方が、お茶への取り組み方にも通じているんですね…‼最後に、白川茶は後継者不足や、売上の減少なども問題視されています。将司さんが思う今後についてお話いただけますか。
まず、無理に白川茶を残して『負の遺産』にしたくないっていうのはある。昔はこの町の基幹産業で特産品だったのが、今はもうお荷物になっている側面があって。それは悲しいけどね。
だからこそ、維持していける形できちんと白川茶を残したい。
——町民の方にも白川茶を残したいという気持ちがあると思います。
そうだと嬉しいね。そのなかでおれにできるのは『美味しい白川茶』を守ること。それと、茶畑を守れるように生産者の方と連携を取ることやね。
やっぱり茶畑を守らんことにはどうしようもない。お茶をつくるための大元やから。
それを守って技術を受け継げるように、生産者とコミュニケーションを取ったり、今後はピアチェーレとして何かできないかということも含めて考えてるね。
——興味で始まった仕事とお聞きしましたが、将司さんのなかで白川茶への想いがとても強くなっているように感じます。
『ピアチェーレのお茶』から『白川茶』に意識が変わって、「なんとか白川茶を守りたい」っていう気持ちになったんやて。
昔から他のお茶屋さんに負けたくないって気概でやってきた。でも今は、ピアチェーレ以外のお茶屋さんを選んでくれてもいいから、とにかく白川茶が選ばれて欲しいなって。そりゃうちのお茶が選ばれて欲しいのは変わらずあるけどね(笑)
——なるほど…自分の仕事に対する想いが、白川茶とそのお茶を特産品とする白川町にまで広がっていったんですね。
白川町がすごい良いところかどうかは、中に住んでるおれにはよく分からん。だからそれは外から評価してもらったらいいのかなって思う。おれも他の町に行って「良いところやなぁ」って思うことがあるしね。
だからこそ、白川茶を「美味しい」って全国の人から言ってもらえるのはすごく嬉しいし、それを仕事にしてる人間として誇りにしていいんやなって思っとる。
同じように町民の人にも、白川茶に誇りを持ってもらえるようにしたい。お茶を飲む人が少なくなった時代やけど、どこかへ行く時には「手土産に白川茶を持っていきたい」って思ってもらえるように。
そのための美味しい白川茶を守るのが、おれの仕事。味は任せてくれって感じやね。
自分の人生を振り返る時、だれかの話を聞く時。過去と現在と未来が繋がって綺麗なストーリーになるような『物語的な何か』を期待してしまうことがあります。
お話の冒頭から「たまたま」という言葉で、期待をあっさりと裏切ってくれた将司さん。その言葉は「人生ではどんな選択をしても大丈夫」と、肩の荷をそっと下ろしてくれる気がします。
人生とはそもそも、偶然の積み重ねなのかもしれません。
その偶然を、苦労や不安も含めて楽しみながら、自分と町の誇りに変えていく将司さん。
白川町には、誇れるものがたくさんあります。
将司さん、ありがとうございました!
【山口将司(やまぐち まさし) さん】
屋号 :中深井戸
出身 :蘇原地区
学校 :岐阜県立岐阜農林高等学校・旧 岐阜県林業短期大学校
職歴 :工場勤務、土木作業員、現職(ピアチェーレ勤務)
趣味 :家族や仲間と遊ぶこと
読んでくれている人に一言:白川茶いっぱい飲んで!笑
取材年月:2023年03月