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「不動産で白川町に貢献する」

行き当たりばったりでたどり着いた場所で継ぐ『義父の遺志』

佐見地区にある、不動産や土地の売買・仲介を行う『佐見不動産』。

2023年4月から代表を務める細江英津子(ほそええつこ)さんは美濃加茂市出身で、結婚を機に白川町に移住しました。佐見不動産を創業した白川町の前町長である故 細江茂樹さんは、英津子さんの義父に当たります。

 

「行き当たりばったりでここまできました(笑)お義父さんがつくった佐見不動産で、できるところまで頑張りたいですね」

 

佐見不動産を継ぐまでの経緯や葛藤、その取り組みについてお聞きしてきました。

 

義父がつくった佐見不動産で「白川町にもっと人が増えるように」

——佐見不動産では、白川町の物件を扱われているんですか?

美濃加茂市や可児市の物件もありますけど、白川町の物件を多く扱っていますね。

白川町は都市部に比べると、物件の価格も安いし買い手も少ないんです。それに対して町の面積が広いので、物件調査なんかで時間と経費がどんどんかかっちゃう。

お話する英津子さん

この日は佐見地区にある事務所でお話を伺いました

 

——空き家は多いと聞きますが…白川町で不動産業を営む難しさがあるんですね。

白川町内の物件はあまり扱わない不動産会社も多いです。

うちも今は佐見不動産だけの仕事では生活していけないですし、それに私はこれまで不動産業を経験したことがなかったので、事務作業なんかも大変ですね(笑)

—–そんななかで、英津子さんが佐見不動産を継いで、白川町で活動するのはどうしてなんでしょう?

出産してからは主婦をしていたんですけど、お義父さんが「いっしょに不動産業をやろう」と言ってくださっていたんです。身近でその仕事ぶりを見ていて興味を持って、宅建士(宅地建物取引士)の資格の勉強を始めるようになりました。

だから最初は、お義父さんに教えてもらいながら不動産の仕事に慣れていくつもりだったんです。でもいっしょに働く前に病気で亡くなってしまいました。

白川町長も務めた故 細江茂樹さん

白川町長も務めた故 細江茂樹さん

 

——そうだったんですか…

その時に一度は佐見不動産を廃業したんですけど、すぐ後に私が宅建士の資格を取れたので、引き継ぐことにしました。

お義父さんも白川町でやりたがっていたし、不動産業界から『白川町にもっと人が増えること』にちょっとでも貢献できたら良いなって思います。

——「遺志を引き継ごう」という想いがあったんですね。

それに、お義母さんもすごく協力してくれるんです。町内のことをよく知っていて、いろんな情報を教えてくれます。もう誰よりもフットワークが軽い(笑)

だから、できるところまで佐見不動産をまずはやってみようと思いました。

お義母さんと旦那さんといっしょに佐見不動産の事務所前での写真

お義母さん(写真左)と旦那さん(写真右)といっしょに、佐見不動産の事務所前で

 

やりたいことが分からず「遠い雪国の世界」に?

——英津子さん自身は美濃加茂市の出身とお聞きしました。これまでの経緯をお聞きしたいです。

厳しい親からあれこれ言われるのが嫌で…実家を出たくて東京の大学に行ったんです(笑)

でも就活の時期に何をしたらいいか分からなくなって、一回休学して、親戚を頼りに京都に行きました。

——分かります、僕も就活では分からなくなりました…そこで、いきなり京都ですか!?

「これがしたい」というより、いろいろ経験したかったんです。

その期間はラーメンが好きだからラーメン屋で働いたり、いろんな人と関われて視野が広がるかもしれないからホテルで働いたりしました(笑)

笑顔の英津子さん

「何か夢があったとかじゃないから、話せるようなことがあんまりない…(笑)」と振り返る英津子さん

 

——たしかにそういったことは就職が決まるとなかなかできない、貴重な経験ですよね。

その後、東京に戻って大学を卒業しました。

でもけっきょく「これがやりたい!」っていうのは特に分からなかったんですよ。東京は人も多くて大変で、田舎の環境のほうが自分に合っていると思って卒業後は地元に戻ってきました。

母親が教員で特別支援学級を担当していたこともあって、福祉の仕事が身近にあったので、白川町にある福祉関係の職場に勤めるようになったんです。

——そこで白川町と、そしてご主人と出会うんですね。

でもそれまでは、白川町って遠い雪国の世界だと思ってました(笑)子どもの頃、冬に一度来たことがあったんですけど、山に囲まれてすごく雪が降っていたので、ずっとそのイメージが残っていたんです(笑)

佐見不動産の事務所前の景色

佐見不動産の事務所前の景色。今は「そんなに遠い場所ではなかったですね(笑)佐見の雰囲気は落ち着きます」と語ります

 

白川町ならではの繋がりがある不動産業

——勝手に美濃加茂市はご近所だと思っていましたが…そんな遠い場所のイメージだったんですか(笑)そんな場所で未経験の不動産事業を継がれることになるんですね!

もう行き当たりばったりですね(笑)

結局やりたいことや夢が分からず偶然が重なってここまで来たけど…宅建士の資格を取ってお義父さんがつくったものを継いだので、できるところまで頑張りたいです。

——実際に2023年4月から継がれて、いかがですか?

やる前から「大変やろうな」とは思ってましたけど…大変ですね(笑)仕事としてまだまだ安定はしてないし、白川町は人も少なくて売り手と買い手がマッチングすることも難しいので。

 

もちろん、うまくいったときはすごく嬉しいです。もう白川町に住んでいないけど、相続した土地がずっと気がかりになっていたお客さんは、買い手さんが見つかって「土地を手放して気持ちが楽になった」とおっしゃってました。

いつもそうやってうまくいくわけではないので、まだこれから先には不安ばっかりですが…頑張るしかないですね(笑)

お話する英津子さん

「どうにか空き家とか畑、山を何かに活用できたら」と語ります

 

——そのためにも、たくさんの人に白川町の魅力を知ってもらうことが大事ですよね。ヤゴーも頑張ります…!

とにかく白川町に人が来てほしいですね!みんなと協力しながら、不動産の面で力になれるようにやっていきたいです。

それに不動産業の活動を通して、白川町のことをこれからもっと知っていきたいと思うようにもなりました。この地域はみんな知り合いで「この空き家はだれの家か」っていうこともだいたい知っていたりするので、いろんな情報や繋がりがあって面白いです(笑)

——同じ不動産業でも、きっと白川町ならではのことがたくさんありますよね!今後、佐見不動産としてやっていきたいことなどはありますか?

売買はもちろんなんですけど、空き家管理もやっていきたいですね。住んでいないご実家が白川町にあって、すぐには手放したくないけど管理が難しい方もいると思うので。白川町には空き家バンクの『移住・交流サポートセンター(https://shirakawa-ijuu.com/)』もあるので、お互いに情報を共有し合っています。

そのためにもまずは、いろんな方に佐見不動産を知ってもらいたいです。

昔の佐見不動産の看板

 

「自分で『絶対こうしたい』っていうのがなかったんです。それは今もない」

なかったからこそ、きっと英津子さんは「行き当たりばったり」でたくさんの行動ができて、そして大変な時でもその行動を積み重ねて、今にたどり着いたんだと思います。

 

そんな英津子さんと佐見不動産のこれからが楽しみで、いつかまたお話を聞いてみたいと思う時間でした。

 

【細江英津子(ほそええつこ) さん

出身   :美濃加茂市

学校   : 中央大学

職歴  :白竹の里

趣味  :お菓子を食べること

読んでくれている人に一言  :読んでくれてありがとうございます。まだ、始めたばかりなのでこの先も行き当たりばったりかもしれませんが、頑張りますのでよろしくお願いします!

 

取材年月:2023年12月 

【佐見不動産】

〒509-1222 

岐阜県加茂郡白川町下佐見351

TEL:0574-76-2332

Instagram→https://www.instagram.com/sami_fudo_san/

  • 取材執筆:

    澁谷尚樹

  • 写真:

    服部健人

  • 監修:

    白川町役場企画課・Anbai株式会社

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