白川町の有機農業を支えるNPO法人『ゆうきハートネット』*
*白川町で平成10年に立ち上がった「有機農業でまちづくりを目指す」団体
発足当時から、現在も監事として組織を支える西尾勝治(にしおまさはる)さん。
39歳で地元の黒川にUターンで戻り、54歳でご自身の農園『西尾フォレストファーム』を立ち上げ専業の有機農家として活動しています。
「ずっと僕の想いは、農業を自分の仕事にしたいというものだった」
地元を離れても変わらなかった想いを、お聞きしてきました。
消えない「子どもの頃からの想い」
——西尾さんは54歳という年齢で退職し『西尾フォレストファーム』を立ち上げています。経緯についてお伺いできますか?
東京の大学の農学部を出て、名古屋の私立高校で理科の教員を39歳までやってた。
でも僕はこの家の長男だったから、親が高齢になって大変になる頃にはUターンで戻ってこようと思ってましたね。
——そうだったんですね。
僕が子どもの頃、このあたりは農業と林業で成り立っていたから大学は『農学部』を選んだ。名古屋で働いていたのも、実家に近いからだね。
週末はしょっちゅう帰ってきて、実家との繋がりはずっと大事にしてた。
–—–白川を出る時から、ずっと戻って来ることを想定されていたんですね。
そうだね。やっぱり自分が生まれ育った故郷は、良いね。安心できる自然があって、懐かしいし友だちもいる。
でも家族を養っていかないといけないから、安定した仕事を手放して戻ってくるのは勇気が必要だった。それに、こっちへ帰ってきたいと親に言ったら「何のために大学まで卒業させたんや!」って(笑)
——ご両親は地元に戻られることに反対だったんですか!?
僕らが若い頃は高度経済成長期で、親も「外に行け」って勧めた時代。その頃には農業や林業はすでに儲からなくなっていたし、新しく始めるなんて誰も想定していなかったね。
でも僕の場合は、仮にいくらお金を貰えたとしても都市のタワマンみたいなところに住みたいとは思えなかった(笑)
——それぞれの場所に違う良さがあるからこそ、自分に合った場所を選びたいですよね。39歳で戻られてから『西尾フォレストファーム』を立ち上げるまでに15年ほどの期間があるんですね。
自分の子どもたちが大学を卒業する目途が立つまでは、近くの会社にお世話になりながら兼業農家として農業をやってましたね。
——そこから54歳で退職されて、専業農家になられたんですね。
そう、ずっと希望してた農業をしっかりやることができて「こんなに楽しいことはない!」って思った(笑)
自然を相手にして、作物の日々の成長を見るのは面白くて「もっと早くやってたら良かった」と思うぐらいだった。
小さい時から親について山に行ったり、米作りをいっしょにやったりして、当時からの想いがずっと残っていたんだね。農業や林業を仕事にしたいという想いがずっとあった。
安心して暮らせる自然を守るために『有機農業』を
——現在では有機農家として新規就農するために白川町に移住する方も多いですが、西尾さんはどうして有機農家を目指されたんでしょう?
同じ頃に大学を卒業した人たちが、有機農業の指導を全国でしていたのが興味を持ったきっかけだね。
地域の環境を綺麗にする。綺麗な水でつくった作物を、下流の都市部にいる人たちにも食べてもらう。そうやって「安心して暮らせる自然を守っていかないといけない」という気持ちがあった。
——同じような想いを持った人たちが集まって「ゆうきハートネット」が立ち上がったんですね。立ち上がった平成10年では、有機農業はかなり先進的だったと思います。
先進的というより異端的な目で見られていたね(笑)
それでもみんなで集まって酒を交わして、農業のことや、町の将来のことを考えて議論するのが楽しかった。そういうのは今も年に何回かあって、お互いに「ああでもないこうでもない」と言いながらやってるね。
——有機農業のやり方は人それぞれとお聞きしますが、みんなが違うなかでも有機農業や白川町に熱い想いがあったんですね。
せっかくここに住んでる以上は、みんなが仲良くして楽しめる環境にしたいからね!
Uターンで戻ってきた時から、本を読んだりみんなで話し合ったりして「町を盛り上げる良いやり方は何かないかな」とずっと考えてた。
——結果として今は、有機農業を目的に白川町へ移住される方も多いですよね!
たまたま「有機農業推進法」という法律ができたり、都会での生活を見直して農業をやりたいという人が増えてきて、時代とのタイミングが合ったという感じだね。
当時はなかなか有機農業を学べる場所がなかったこともあって、有機農業をやりたい優秀な人たちがたくさん来てくれた。
——異端的な目で見られながらも、自分たちの想いを通したからこそだと思います!
それに、この地域の人たちは移住者に対して融和的な雰囲気があるんだよね。よそ者扱いもしないし、みんな受け入れてくれる。
——それは移住者の方にとっては大きいですよね!
移住者の人たちも積極的に地域に溶け込もうとしてくれたね!
地域の活動や消防団にも入って、地域に協力しようとしてくれた。僕が家や農地を紹介して移住が決まった人で、出て行った人はだれもいない!
——地域の方も、移住者の方も、お互いを受け入れようとするから良い関係性が生まれているんですね。
みんなで町の農業を維持する
——西尾さんが今後やっていきたいことはありますか?
有機農業をしている人同士だけじゃなく、慣行農業*をしている人もいっしょになって頑張っていきたいね。
*法律に従って農薬や肥料を正しく使用する、従来の栽培方法
みんなが有機農業をやるべきとも思ってない。農業をやっている人にはそれぞれのやり方があって、そのみんなで協力して持続可能な地域をつくっていくのが理想かな。
——手段は違えど、みなさんの活動は町を守ることに繋がっていますよね。
農業をするために移住した人のなかには、農業が合わなくて辞めてしまった人もいる。でもその人たちも相変わらずこの地域に住み続けているんだよね。
それは仲間がいて、繋がりがあって、自然のなかで安心安全な暮らしができるからだと思う。その暮らしがこれからも続くと良いなって思いますね。
柔らかい雰囲気で、これまでのご自身の歩みを振り返ってくれた西尾さん。
世間や時代に流されることなく、自分の想いを体現することに熱量を注ぎ続けたその姿勢に、感銘を受けました。
【西尾勝治(にしおまさはる) さん】
屋号 :白木屋(しろきや)
出身 :黒川地区
学校 :東京教育大学(現 筑波大学)
職歴 :日本福祉大学付属高校教諭、セブン工業社員、農家
趣味 :読書(ノンフィクション)、渓流釣り
読んでくれている人に一言 :世界の食料の9割は家族農業で賄われているとして国際連合では小農宣言が採択されました。食料自給不足がささやかれる日本でも皆が可能な形で耕す行動に参加することが必要です。
取材年月:2023年09月