羊毛や真綿を草木で染め、それを糸車で糸にして帽子やセーターなどを手作業でつくる『手紡ぎ(てつむぎ)の会』
現在唯一のメンバーである増田芳子(ますだよしこ)さんは、元陶芸家で30年以上前に岐阜市から白川町に移住してきました。
「失敗することによってそれを1つの模様にすることができる。真っすぐできなくて曲がっても、模様として面白いやん?」
つくることを通して「何でもいいからやってみることが一番大事」だと学んできた増田さん。
その背景にあるのは、”陶芸家として自分の作品を売って食べられるようになるまで”の10年間。
そこでは青年海外協力隊としてのマレーシアでの勤務や、白川町との出会いなどたくさんの経験がありました。
「草木染めをしてみたい」から始まった手紡ぎ
——道の駅ピアチェーレで、毎週木曜日と第2・第4土曜日に手紡ぎの実演をされているんですね!
ここでやってもう30年近くになるかな。
——簡単に手紡ぎについて説明していただけますか?
刈ってきた羊の毛を洗って乾かしたら、カーダー機っていうのにかけるんよ。それで起毛と製毛をする。
その後に染める場合は染めて、糸車で糸にして、製品をつくっていくんやね。
機械でやるのとは『軽さ』と『風合』が違う。『風合』っていうのは手触りやら肌ざわりのことやわ。
去年寒かった時は帽子がよう売れたね。ウール100%で温かいのに、軽いから。
——白川町への移住当初は陶芸家をされていたということですが、手紡ぎを始めたきっかけは何だったんでしょうか?
初めは手紡ぎよりも、草木染めをやってみたかった。たまたまここに来たら草木染めをやってる『手紡ぎの会』があって、こりゃ良いなと思って。
白川町に来て5年ぐらいは、焼き物と並行してやってたよ!
——草木染めですか。
そう、そこらへんの草を取ってきて煮だすんよ。「あの草で染めたことないからちょっとやってみようか」ってそんな感じで、どんどんやっとる。
本に書いてある通りにやっても良い色が出るとは限らんし、逆に適当にやって良い色が出ることもある。
——やってみないと分からないんですね。
そうそう。土地ごとの土の加減や、使う水に含まれる成分の違いも関係してる。
同じ植物を使っても、黒川の土は鉄分があるから黒川地区の人が染めると違う色になったりする。
——自分が実際に経験することを通して、引き出しを増やしているんですね。
そうしないと面白くないと思うよ!
なんでもやってみること。それが私の信念や。
失敗するからこそ面白い
——「つくる」という経験を通して得た信念ですね。
そう、私はとにかく「つくる」のが好きやね。
草木染めやったら良い色が出たら嬉しい。焼き物やったら窯を開けた瞬間にガッカリするのか「やったぜベイビー!」ってなるのか。
——-やったぜベイビー!(笑)そうやってうまくいかないことも含めて好きなんですね。
失敗は成功のもとやしね。失敗したのを「次はどうやったらうまくいくのか」っていう発想でいる。
特に焼き物は窯に入れたらやり直しが効かない。そういうギャンブルみたいなところも面白かった(笑)
——うまくいくかどうか分からないからこそ、面白いと…
何でもそうやけど、毎日諦めずに辛抱してやってると、ある時壁を抜けるようにスッとできるようになる。あれは不思議な感覚やね。
それが楽しい。そうしたらまた違う壁が出てくるで(笑)
——そうやって辛抱強く繰り返して、少しずつ技術をつけていくんですね。
理屈はあるとしても、自分で身体を動かして覚えるしかない。
焼き物でも、焼くための薬や土なんかは全部テストしたよ。みんながやってる既製品でやりたくないやん?
何でも心からやりたいと思えばそうやと思う。たくさん試して、自分なりのものを見つけていかなあかん。
様々な経験がつくる「自分らしい作品」
——以前されていたという陶芸は、現在はされていないんですか?
そうやね。親が倒れた時に介護で4年間できんかった。焼くのに体力が必要なのもあって、60歳ぐらいで辞めてしまった。
そりゃやりたいけどね!窯で焼くのは面白かった。今でも陶芸なんかのテレビは観んようにしとる(笑)
–—–まだ未練があるぐらい好きなことだったんですね…!ちなみに始めたきっかけは何だったんでしょう?
大学を卒業して、周りはみんな事務職に就いたけど私は手仕事がやりたかった。
どうしようか考えてる時、新聞に『陶芸の職業訓練校』の広告が出とって「これええわ!」と申し込んだ。
——陶芸との出会いは偶然だったんですね!
そう、でも卒業後はなかなか稼げなくていろんなことやったよ。
——いろんなこと、ですか。
陶器屋に勤めたり、陶器への絵付けをしたり、職業訓練校に戻って講師として働いたり。
でもやっぱり自分の窯が欲しいやん!自分で焼きたいけど、窯をつくるお金がなかった。
それもあって、青年海外協力隊として陶芸を教えるために2年間マレーシアに行った。協力隊は積立金制度があるから、帰国時にお金が貰えるのも大きかったね。
——そんなご経歴があったんですね…!
任期中も節約してお金を貯めとったから、帰国する前にイギリスやフランスにも行ったね。どうしても大英博物館とルーブル美術館を観たかった!
その後実家に戻って、窯をつくって自分の作品を焼いとった。自分で開いた展示会で作品を売って食べられるようになるまで、10年くらい実家で世話になったね。
——そこから白川町に来られたんですね。
そう、実家に窯を置くのは狭いし、いつまでも世話になるわけにはいかんしね。
当時から草木染めに興味があったから、岐阜県庁に相談していくつか草木が多い山間地を紹介してもらったんよ。
——その中に白川町が含まれていたんですね。白川への決め手は何だったんですか?
JRが通ってて親が来やすいのもあったし、何より白川町役場の人の対応が良かったのがあったね。こまめに対応してくれて、そういうところが白川町の良さやと思う。
それに天気の良い日は空が綺麗で、蛍が見れる川もあって、良いところやと思うよ。たぶん私に合ってたんやろうね。
それで引っ越したら草木染めをやってる「手紡ぎの会」とも偶然出会って、そういうのは縁やね。
——たくさんの経験を経て、ご自身に合う場所にたどり着いたんですね!これまでの経験が増田さんの作品づくりにも繋がっているんでしょうか。
そうやね。いろんなものに興味を持って、頭を柔らかくするのが大事やわ。
どんなにお金が無い時でも、1年に1回だけは観たい展示会に行くようにしてた。良い物を買えないなら見るだけでも良い。それが自分の考えを広げて、自分らしい作品づくりに繋がっていく。
——なるほど…!たくさん試して自分らしい作品をつくるためにも、周りから刺激を受けて頭を柔らかくすることが大切なんですね!
出会った好きなことで「納得した作品」をつくる
——金銭的にも長い期間苦労したというお話でしたが、増田さんは途中で陶芸を辞めようとは思わなかったんですか?
それは思わんかった。
自分なりの焼き物を作れていないのに、辞めるわけにはいかんわ。そんな中途半端な状態で辞めるわけにはいかんと思っとった。
最後は親の介護や自分の体力の問題で辞める決断をしたけどね。
——自分が納得する作品をつくる、ということですね。
そう思える好きなことに出会えたからやね。やっぱり好きなことやったら、しんどくても我慢できるから。
子どもの頃からいろんなことを親にやらされてね。絵とか書道とか。そういう経験を通して「つくること」が好きって自覚して、いろんなものに興味を持てる自分にさせてもらったなって思う。
親のおかげやね。今の子どもたちにもいろんな経験をさせてあげて欲しい。
——最後に、増田さんが今後やってみたいことがあれば教えていただけますか?
最近はインディゴ色に染めるのをやり始めたんよ。今持ってる白っぽい服とか、ぜんぶインディゴ色に染めてみようかなって思っとる(笑)
——やっぱり「なんでもやってみる」ですね!(笑)
「周りから八方美人って言われようが、若いうちはいろんなことに興味を持って、悩む前にとにかく手をつけてみたら良い」
すべての経験を「自分らしい作品」に繋げるという増田さんの『創造的信念』
結果に捉われないその作り手としての信念に、そっと背中を押されたような気持ちになりました。
増田さん、ありがとうございました!
【増田芳子(ますだよしこ) さん】
出身 :岐阜市
学校 :立命館大学、名古屋高等技術専門校窯業校
職歴 :焼き物関係、手紡ぎ
趣味 :読書(最近は特に時代小説)
読んでくれている人に一言:何か自分の趣味を持つと、年を取った時にも元気になれる。子どもたちには、何か自分が熱中できるものを見つけて欲しい。
取材年月:2023年06月