白川町内でマジシャンとして活動する大岩敏廣(おおいわとしひろ)さん。
お茶の味と茶畑の景観が名高い『葛牧(くずまき)』という地域で暮らす敏廣さん。地域での茶畑管理や、紫陽花(あじさい)を植栽し景観を守るなど、積極的に地域活動にも参加されています。
奥さんは敏廣さんのことについて
「紫陽花を育てて環境を綺麗にしようとしたり、いろんなことに前向きに取り組むのが良いところやね」
と語ります。
定年まで白川町役場に勤めていた敏廣さん。マジックとの出会いや、これからの地域への想いをお聞きしてきました。
マジックは、役場人生での財産
——白川町でマジシャンとして活動されている敏廣さんですが、そのきっかけは何だったんでしょうか?
役場では佐見地区の支所に5年間いて、その時に公民館講座*をいろいろ企画してた。
毎年5つぐらいの新しい講座を開くから「何やったらええやろう」って考えたりみんなに聞いたりして、それでマジックっていう案が出て講座を企画したのがきっかけやね。
*公民館講座:地域の人が気軽に学び、より良い地域社会を育むために公民館で開かれる講座。
——公民館講座を企画される立場から、ご自身でマジックを覚えて教える立場になったんですか!?
初めは他に先生を呼んでたんやけど、僕はぜんぶの講座に顔出してたもんで覚えていったね(笑)でも教えるのも楽しいよ。
——いろんな講座がある中でも、マジックが敏廣さんに合っていたんですね。
いろいろ自分でやってみて、残ったのがマジックやった。
見た人が驚いてくれたり、喜んでもらうためにどんなマジックをしようかって考えてる時が楽しい。だからあんまり真剣に見られてリアクションが無いと困る(笑)
マジックを白川町内でばっかり披露するのは大変やけどね。
——そうなんですか?
新しいマジックをどんどん考えないと、同じ人の前でやるからタネが分かってしまうやろ?
それに町内の老人ホームなんかで披露することもあるけど、持ち時間が1時間ぐらいある。僕は喋りが苦手やもんで、長い時間が難しいね(笑)
——たしかに1時間は大変そうです…!
でもそうやって自分のことを使ってくれたり、マジックを通して知ってもらった人に声をかけてもらったりするのはありがたいね。
いろんな人との関わりを作ってくれるマジックは自分の1つの財産になった。
——役場での財産の1つでマジックが出てくるというのは、人生ってどうなるか分からないですね…!
そうやね。役場人生を振り返っても、佐見での5年間は大きかった。
公民館講座の参加者とどんどん繋がっていったし、夏祭りの庶務やら会計やら、そういう地域行事にも参加させてもらってみんなと知り合いになれた。今でも会ったら声をかけてくる。
地域の人とのそういう直接的な関わりはすごく大事やと思う。
集落のみんなが守っていきたいもの
——現在は地元の白川北地区の活動に積極的に参加されています。
まずは自分が住んでる地元を守らんと、外のことに手が回らんもんね。
この集落も若い人が減って、空き家もできてきた。白川町の観光ポスターにここの茶畑の景観が使われてるけど、後継者がいなくてその管理も難しい。
——-難しい問題ですよね…
葛牧のお茶は景観だけじゃなくて、町内でもいちばん早い時期に収穫できるから貴重でもあって、なんとか維持管理していきたい。
でも高齢になって管理できない人も増えてきた。白川北地区にはお茶組合があるけど、なかなか採算も取れないしその組合を今後どうしていくかっていう話も出てる。
——茶畑の管理だけでなく、維持していくための採算の問題もあるんですね。すごく茶畑の面積が広いですが、どれくらいの人数で管理されているんですか?
この集落には25世帯ぐらいあるから、みんなそれぞれ茶畑を持ってやっとるよ(笑)
——え、みんなですか!
元々は白川町の他のところもそうやったよ。各家庭でお茶をつくって飲んどった。
——昔からの文化がしっかり残っている場所なんですね!
高齢になってできない人のところは代わって管理してる。
集落としては体力的に限界がきてる部分もあるけど、みんなこの集落を守っていきたいっていう気持ちはある。
役場を退職した時期ぐらいから集落の維持管理が難しくなってきて、そこでよりこの地域への想いが強くなった。家業としてずっと続いてるもので、自分が住んでいる場所やしね。
——維持していくのが難しくなってきたらこそ、ご自身の気持ちに気づいたんですね。
「仕方ない部分もあるけど…」これからの茶畑を想う
——敏廣さんの今後についてお聞きしたいです。
もう今後っていう年齢でもないけど(笑)
みんなでチームを組んで、集落が荒れないように守っていきたいね。
これまで通りは難しいかもしれんけど「この程度まではみんなで守ろう」っていう範囲を、これから具体的に決めてやっていくしかないと思う。
——チーム、ですか。
今は個人の負担を減らせるように、土日にみんなで集まって分担しながら集落の環境整備をやったりしてる。
そういうみんなで協力できるところから始めてるね。
——現実的にこれからを考えて、方向性をみんなで決めて協力していく必要があるんですね。
昔は茶畑があったところはぜんぶ桑畑やった。蚕が盛んで、学校帰りによく桑の実を食ったりしてたよ(笑)
蚕でもお茶でも何でもそうやけど、一時的に儲かる時もあるし今みたいに下がる時もあるから、無くなっていくのは仕方ない部分もある。
でも白川茶は町の特産品やし、この景観も含めてできるところまでは残したい。
——観光ポスターにもなり、白川町の象徴的な景観ですよね。
昔から続いていた地域の集まりがコロナで無くなって、若者と高齢者で意識の差があるような気もする。
それに今の時代はスマホで個人個人が情報を集めるようになったわな。
そういう時代だからこそみんなでコミュニケーションを取って、情報や気持ちを共有しながらこの集落を守っていきたいね。
当たり前にあったものが無くなるかもしれないという困難に直面して、きっと初めて気づくことがあります。
その困難も、気づいた想いも、敏廣さんの活動を通してたくさんの人に共有され、次に繋がっていくのかもしれません。
大岩さん、ありがとうございました。
【大岩敏廣(おおいわとしひろ) さん】
屋号 :中屋
出身 :白川北地区
学校 :岐阜第一高等学校
職歴 :白川町役場
趣味 :マジック、ゴルフ、鼻笛
読んでくれている人に一言:少子高齢化や後継者不足で耕地の維持管理は難しくなってきていますが、まず住んでいる地域は、その住んでいる人たちで守っていくことが必要だと思います。
「住みよい地域は、自分たちで」をモットーに、楽しく感謝して過ごしましょう!
取材年月:2023年06月