黒川地区にある居酒屋『杉の子』を営む渡邉チズ子(わたなべちずこ)さん。
名物のかつ丼と、安心感のある笑顔と雰囲気。初めて会ったという気がしないのはなんでだろう。
「やっぱり大事なのは、本音で語ることやね。口上手では続かんからね」
そう語りお客さんに愛されるチズ子さんは、熊本県阿蘇郡出身。15歳で就職のために地元を離れて、どんな人生を送ってきたのか。
ご本人も細かい年数を忘れるほど長い年月!!
その人生や生き方についてお話を伺ってきました。
盛況なお店を切り盛りした日々
——チズ子さん、こんにちは。『杉の子』は創業してどれぐらいになるんですか?
32、33年ぐらいじゃない?よう覚えてないけど、30年は経ってる。
——すごいなぁ。
黒川の人にはほんとに可愛がってもらったわ。みんな「姉ちゃん姉ちゃん」って呼んでくれてね、なにかにつけて宴会を開いてくれた。
嬉しかったなぁ…おかげで借金の返済もあっという間に済んで。
——チズ子さんに惹かれる人がたくさんいるの、分かる気がします。借金は創業の時にされたんですか?
そうよ、お店を建てるようなお金はないからね。
創業する前はここから少し坂を上った『尾平山荘』って旅館で働いてたんよ。住み込みで私が全部切り盛りしてね、5月の連休の時は大勢人が来てすごかったんやで!
——白川町にそんなたくさんの人が来ていたんですね!
近くに『辻オルガン』*ができてね、全国からパイプオルガンを習いに来てたんよ。
ほんで30人ぐらいがここに泊まってね。
辻オルガン:世界的なパイプオルガン建造家の故辻宏さんが、黒川地区の廃校に作ったオルガン工房。現在は藤吉オルガンとして工房が利用されている。
——『辻オルガン』…すごい影響力だ…
『尾平山荘』には釣り堀があって鱒(マス)を飼っとってね。お客さんが釣ったものを、塩焼き・みそ焼き・唐揚げ・天ぷら、みたいに何種類も作って出しとった。どんだけ鱒を殺したかね、呪われるで(笑)
——呪われるほどの盛況ぶりだったんですね…(笑)
『尾平山荘』が建ってたのは良いところやったからね。
石の門が建っとるんやけど、そこに私の夫が「尾平山荘」って文字を”こんころこんころ”彫ってくれたの。
——(「こんころ…」良い音が鳴ってたんだろうなぁ…)旦那さんは職人さんだったんですか?
いや、ぜんぜん(笑)事務屋さんやったで。
15歳から始まった陶器屋での生活
——すごい技術ですね(笑)チズ子さんは熊本県の阿蘇郡出身だとお聞きしました。
あんたよう知っとるね!
——あ、以前ここで食事をした時にお伺いして…
そうか、忘れてたわ(笑)昨日来た人なら覚えてるけどね。
——また来ます(笑)
阿蘇は白川町といっしょで空気は良いし、阿蘇山が向こうに見えるし良いところよ。
そこから15歳の時に、多治見市の陶器屋に就職したんよ。陶器屋がうちの学校に来て、求人の募集をしとったからね。多治見市には九州から出てきた同僚がたくさんいたわ。
——15歳ですか!
実家は百姓やったけど、それでは食べていけんからね。
当時は就職が流行っとったんよ。『就職列車』の歌まであったやら?
「しゅうしょくれっしゃが~」て歌があったら?知ってるやら?
——いえ、知らないです…
まあ、あんた若いでな(笑)
——多治見での生活はどうでしたか?
すごい環境やったなぁ。多治見市はほとんどの家で陶器を作っとってね。陶器類は石炭で焼くから、そこら中から黒い煙が出とる。
若い娘やもんで白いズボンを履くやら?休みの日に山登りをしたら、山を降りてきた時には白いズボンが真っ黒!
——それは大変だ…空気が良いチズ子さんの地元とは大違いですね。
実家に手紙書いたで。「鼻の中が真っ黒になったから病気にならんやろうか」って(笑)
——たしかにそれは心配になりますよね(笑)
しばらく働いたけど、生活する環境が合わなくてね。辞めて飲食関係に移ったの。
本音で喋り、黒川で愛される存在に
——そこから飲食での仕事が始まっていくんですね!
美濃加茂市の食堂で働いてね。そこは大勢の人が来て、おでんから丼物まで何でも作ってたわ。そこから川辺町で自分のお店を出したりして、最終的には『尾平山荘』を経営していた人にスカウトされたんよ。
——スカウトですか!?
「白川町でお店をやってるから一度見に来ないか?」って言われてね。行ってみたら山の中にあって綺麗やし、鱒を何千何万と飼ってる池があってね。私も気に入ったんよ。
——たしかに、チズ子さんの地元と環境が近いように聞こえます。
そうそう。
それでその人、お店の自慢をするんよ。桜の木の下から「ビールはこれぐらい、ジュースはこれぐらい売れるぞ」って言って空き瓶を掘り出してね。当時はゴミを地面に埋めて燃やしたりしとったから、売れた量の自慢をするためにあっちも掘りゃこっちも掘りゃってしとったわ(笑)
——それだけチズ子さんに来てほしかったんですね(笑)
まあ私はそれよりもっと繁盛した美濃加茂の食堂におったからね。その自慢は効かんかったけど、場所が気に入ったんよ(笑)
夫も美濃加茂からずっと付いてきてくれてね。
——奥さん孝行な旦那さん…!そこからずっと白川町に住むことになったんですね。
黒川は私に合っとるんやで。空気も良いし人間様も良いし。
やっぱり人が良くないとね。都会みたいによそよそしい感じじゃなくて、みんなが話し合いできる関係やからね。
このお店(杉の子)にはみんな来てくれたよ。地元の人に可愛がってもらって、嬉しいわ。
——白川町の人の良さももちろんですが、チズ子さんの人間性もあるように感じます。人間関係でチズ子さんが大事にされていることはありますか?
やっぱり本音で喋ることやね。口上手では続かんからね。商売でもふつうの友だち同士でもそれは同じ。私は来とるお客さんにもズバズバ言うよ(笑)
——チズ子さんに安心感を覚えるのは、本心を言ってくれているというのもあるのかもしれません。これからも杉の子は続けていかれるんでしょうか?
どんだけ生きとれるか分からんけど、続けていきたいね。こんだけ商売を続けて食ってきたのは成功やと思うで、それはありがたいことよね。
何度も周りの人への感謝を口にしたチズ子さん。
チズ子さんに安心感を覚え、初めて会った気がしない理由が少しだけ分かった気がしました。
なんだかまた、あのボリューム満点のかつ丼が食べたくなってきた。
【渡邊チズ子(わたなべ ちずこ) さん】
出身 :熊本県阿蘇郡
学校 :旧 馬見原中学校(現 蘇陽中学校)
職歴 :陶器屋、飲食関係
趣味 :歌(歌うというほどのもんじゃないけど(笑))
読んでくれている人に一言:人が好き、お話が好きじゃないとこの仕事はできない。これからも頑張って続けていきたいね。
取材年月:2023年03月