「ずっと働き続けたい」という思いから、仕事と家事、育児の両立ができる『雇われない働き方』を目指し、40歳で鍼灸学校に入学。卒業後はすぐに名古屋で独立開業に踏み切った岩月麻里(いわつきまり)さん。
そこから20年以上名古屋で鍼灸院を経営しながら、ほのまき体操を独自で考え、白川町でも2022年に『ほのまき体操』の公民館講座を開講。そして蘇原地区で『小丸山鍼灸院』を開業しました。
『女性は結婚や出産で仕事を辞める』という考えが根付いていた時代と家庭環境。それらに捉われず、迷いなく道を切り開いてきたように見える岩月さん。その生き方や考え方に触れてみたいと思い、お話を伺ってきました。
身体が痛い人にこそ『ほのまき体操』
——岩月さん、今日はよろしくお願いします。
お願いします。
——岩月さんは名古屋で20年以上鍼灸院を開業されているとお伺いしましたが、白川町での活動について教えていただけますか?
毎月第2・第4火曜日に、公民館講座の『ほのまき体操』を開講しています。(2023年度は5月から開講予定)
あとは講座のタイミングに合わせて、この実家で『小丸山鍼灸院』を2022年11月に始めました。
——白川町でも鍼灸院を開業されたんですね!『ほのまき体操』とはどんな体操なんでしょう。
鍼灸院をしてますけど、身体の痛みって鍼灸や整体での治療だけじゃなくて、自分で筋肉や柔軟性をつけないと改善されないんですよ。
『ほのまき体操』は、私が整体で患者さんにやってあげるものを、自分自身でできるように考えたものです。だから、身体が痛いから体操できないっていうんじゃなくて、痛い人ほど来てほしい!
——岩月さんオリジナルの体操なんですね。
「ほぐす」「のばす」「まわす」「きたえる」の頭文字をとって名付けました。
来てくれた人に合わせて行うから、身体の状態が悪い人が来ると、新しい体操ができたりしますね(笑)
——白川町では高齢者も多いですし、講座も人気が出そうです!
当初10回の予定が、15回の講座になりましたよ!2023年度は、当初から15回で実施することになりました!
——やっぱり人気だ…!
参加人数が少ない時もあるけどね。
その時は「先生お茶しませんか?」って言われて、講座が終わった後に生徒のみんなとお茶飲んだりしてたね(笑)
「10年経ったら鍼灸学校に入る」と決めた日
——楽しい雰囲気が伝わってきます!そもそも鍼灸師を目指したきっかけは何だったんでしょう。
私、鍼灸学校には40歳で入ってるんですよ。その前は保育士をしていて。
30歳で保育士を辞めたんだけど、辞める時に「10年後にお金と元気があったら鍼灸学校に行こう」と決めました。
——10年後のことを決めていたんですか!?
そう。出産と育児のために保育士を辞めたんだけど、子育てが落ち着くまでに10年ぐらいかかるかなって。
当時は一回辞めちゃうと再就職って皆無なんですよ。パートしかない。
だったら「資格を持って独立開業しよう」って。それなら就職先も必要ないしね(笑)
——理想の働き方があって、独立開業ができる鍼灸師を目指したということなんですね。
ずっと働き続けたいんですよ。だから保育士を辞めた後も、パートはしていました。
年齢的に選択肢は限られていたし、20代の頃に鍼灸治療で痛みが取れた経験もあったので「鍼は良いな」と思っていて。それで鍼灸を選びました。
——卒業後はすぐに開業されたんですか?
そうです。普通はどこかに勤めて修行してからっていう人が多いんだけどね。修行したい鍼灸院は東京で、遠くてね。PTAの役員もやらないといけなかったし!(笑)
それで時間の調整ができるというのもあって、子育てと両立するためにも鍼灸学校卒業後はすぐに開業しました。
——すごい行動力です…!実際に決めた時から10年という長い時間が経って、40歳で新しいチャレンジをすることに年齢的なためらいは無かったですか?
はー!!年齢なんて、関係ないない!(笑)
鍼灸師は割と遅くから資格を取る人もいるしね。それに過去は終わっちゃってて未来しかないんだから。年齢よりもこれからのことを考えないと。
女性だからこそ、働き続けることを決めた
——たしかに「これから」が大切ですよね。いろんなことで悩んでしまうぼくには身に染みる言葉です…
だから私、後悔はしないです。
「失敗したな」と思うことはあるけど「やんなきゃ良かった」とは思わないですね。やったことには必ず理由があって、その時の私にはそれが必要だったってことだから。
それに、たとえ何をやっても必ず学ぶことがあります。失敗しても無駄なことなんてないよね。
——やったことには必ず理由がある、ですか…理由というと「ずっと働き続けたい」というお話がありましたが、そのきっかけはなんだったんでしょう。
私が大学に入ったのは1975年で、それは『国際婦人年』っていう、国連が「もっと女性の権利を拡大しましょう」と宣言した年なんですよ。だから女性に関するいろんな催しがありました。
そういう情報に触れているうちに「おかしい」って思う気持ちが強くなっていきましたね。
——「おかしい」ですか?
女性は結婚して出産するのが当たり前っていう時代で。
仕事ができないわけじゃなくて、子どもを預けて仕事を続ける環境が無いだけなのに、世間からは能力が無いと思われている。当時大学に来ていた求人も、すべて男子だけの募集でした。今はあり得ないよね。
——たしかに、今の時代では考えられないです…
だから、働き続けようって。働き続けて能力を証明するしかない。
私の母も「結婚が女性の幸せ。結婚して子どもが産まれたら仕事は辞めて、子育てに専念しなさい」っていう人だったんです。
そういう環境で育ったのも『国際婦人年』に興味を持った理由なんだと思いますね。
——とても強い覚悟を感じます。そこから保育士を選ばれたのはなぜだったんでしょう?
当時は保育園が足りない時代で。女性は子どもが生まれたら預けることもできないから、やりたくても仕事ができない。「働くお母さんを応援したい」っていう想いで、保育士を選びました。
あと保育士を選んだのは、母の存在も大きかったね。「子どもができたら3歳までは家で育てないといかん」っていう考えの人で。
でもそれは違うんじゃないかと思って。保育士になって、本当にそうなのか確かめようと思いました。
白川町に来るために、仕事を作った
——時代や家庭での環境に影響を受けながらも、一貫して『働くこと』を大切にされてきたんですね。
やっぱり、仕事がいちばん土台にありますね。
でも、白川町に来た理由は違います。仕事をするために白川町に来てるんじゃなくて、白川町に来るために仕事を作りました。
——そうなんですか!?
私、白川町にはほとんど住んでいないんですよ。
中学卒業する時に祖父母の具合が悪くなって、家族で祖父母が住んでいたこの実家に引っ越してきました。でも私は高校から寮生活だったんです。
最近になって両親が亡くなって、この家の身の振り方も考えないといけなくなった。
こんな立派な家、無くしちゃうのはもったいないと思ってね。
——たしかに、本当に立派なお家です。
明治14年にここに移築したらしいんだけどね。状態も良くて、先祖はこの家を大事にしてたんだなぁって思います。
家を維持しようと思うと、月に一回は来て風を入れたり草を刈らないといけない。親もいないと来なくなっちゃうだろうから「それなら仕事を入れよう」って(笑)
教育委員会の方に「講座させてください」って頼んだんです。
——それで白川町で公民館講座をされて、このお家を鍼灸院として活用されているんですね。
そうですね。
やっぱり来ると、気持ち良いのよね!山も見えて、家も広くて、本当にのんびりできる。
今は講座の生徒さんや、鍼灸院の患者さんからいろんな情報を聞いて、白川町のことを勉強しています。
——白川町についてそう言ってもらえると、なんだか嬉しいです。最後に、岩月さんの今後についてお聞きできますか?
『ほのまき体操』を広げていきたいですね。まだまだ、やるたびに新しい体操を思いつくので(笑)
みなさんすごく熱心に通ってくれるから嬉しいです。
やっぱり人間って、追い詰められないとやらないんです。身体が痛くなってからじゃないと運動しないよね。だから、そこからやればいいんです。「これから」が大事だからね。
『ほのまき体操』を通して「こうすれば身体が良くなる」っていう知識を提供したいですね。
淡々とお話を進めながらも、時に大きな声で笑いカラッとした陽気さを見せてくれた岩月さん。お話を聞いていると、それだけでパワーを分けてもらえた気持ちになりました。
「論理的に考えるのが好き」と語り、自分の考えを整理する方法をいくつも教えてくれました。
身体の構造から新しい『ほのまき体操』を考えたり、木から落ちて骨を折っても「貴重な体験ができた」と2週間後には仕事に復帰したり。
たくさんのお話を通して、どんな時代や環境でも『自分が思う道を突き進む』力強さを見せてもらえた気がします。
岩月さん、ありがとうございました!
【岩月 麻里(いわつき まり) さん】
屋号 :毘沙門
出身 :美濃加茂市
学校 :中和医療専門学校
職歴 :保育士、パート(研究補助など)、鍼灸マッサージ師
趣味 :好きな草花(マツムシソウ、ユウスゲ、スズサイコなど)を残して刈る草刈り、読書
読んでくれている人に一言:「いつもここから、いつも今から」
取材年月:2023年03月