白川北地区の『野原(のわら)』という地域で、30年以上レンコンをつくっている田口幹夫(みきお)さん。
幹夫さんの家から広がったレンコンづくりの影響で、野原は町内でもめずらしいレンコンの産地となっています。
「うちはぜんぶ自給自足やもんで。味噌も、豆腐も、自分の家を建てるための木も」
80代になっても日々”つくる生活”を続ける幹夫さんに、お話を伺ってきました。
勤めながら、広めた”レンコンづくり”
——この野原という地域はレンコンづくりが盛んですよね。ずっと昔からですか?
30年ぐらい前よ、政府が「減反せよ」って時代があったやろ?
沼田(ぬまた)って分かる?べたべたの、水が切れない田んぼ。そこがレンコンにええって話で、始めた。僕んところから広がっていったわ。

レンコン掘り体験で講師をする幹夫さん。実際体験させてもらうとかなりの重労働ですが、幹夫さんは「30年もやってりゃ要領が分かってくるで、芽があるとこを探して掘り出すだけ」と言います
——幹夫さんが始まりだったんですね。
うちのレンコン畑は、佐見地区から買ってきた鯉(鯉の養殖に関する記事はこちらから)が掃除してくれるし除草剤なんていらへん。この前出荷先のチャオ*がやってくれた農薬検査、280項目ぜんぶ合格やった。その合格の書類はどっかやっちまったが…(笑)
今は米つくったほうがええって言われるから、またつくらなあかん(笑)
*道の駅と国道を挟んだ対面にある複合型拠点施設『よいいち美濃白川』にある、地元の野菜や特産品の直売施設
——(笑)
うちは育苗機もあるし、苗も自分でつくる。いちばん収穫した時には10俵採った時もあるわ。まあそんな採ったってしゃあないで今は収穫量を減らして…

「年取ってよう採らんだけ(笑)」と奥さん
——幹夫さんは元から農家なんですか?
いやいや、43年厚生年金をかけとったよ。鉄鋼関係の会社員。
畑は休みの日にしとって、今のような土日休みじゃなくて日曜だけやから、日曜日にカッパ着て飛び出したりなんかしたわ。
ボーナス貰ってきちゃぜんぶ百姓の機械につぎ込んでよ(笑)
——働きながらだったんですね。
まあ終いには土日休みになってきたし、機械も入ってますます楽になったもんで。
——退職された時とか…百姓を辞めるタイミングというのもあったと思います。
別に、ここで生きていかなあかんもんで(笑)子どもんた(子どもたち)一人前になって出て行ったし、まあ後はおかあと2人のんびりやろうって言って。

幹夫さんのご先祖は700年ほど前に、当時の下呂村から8軒目の家として野原に来たんだとか。幹夫さんは14代目にあたります

20年以上学校給食にレンコンを出している幹夫さん。小学生からもらった手紙を見せてくれました
昔ながらの、自給自足の暮らし
–——百姓の仕事が、幹夫さんにとっての”当たり前”という印象を受けます。
まあ、それぐらいやれたもんで、やってるだけよ。
今も天気なら外に行く。うちはぜんぶ自給自足やもんで、味噌もつくっとるのよ。今年はぜんぜん大豆ができんかったから、北海道の豆を分けてもらって。昔ながらのかまどがあるからそこで煮て、味噌すり機で練って、塩混ぜて、麹(こうじ)混ぜて、3年目のやつを食べるんや。
——味噌ってそんなに寝かせるんですね。それだけ時間をかけながら、自給自足の生活かぁ…
肉とか魚を1週間にいっぺん買い物に行くぐらいやな。冷蔵庫パンパンになるが(笑)
他にも漬物とか豆腐、こんにゃくもつくる。昔はそうやってつくって食いよったで。
うちのおばあは冬のうち座って布草履をたいへんつくって出したよ。もうよ、今の若い衆は縄もようなわん(「縄をなう」:稲わらなどを手でより合わせて縄をつくること)わね。

幹夫さんの奥さんがつくった草履
——できないです…
うちの家は47年か48年ぐらい前に建て替えたけど、ぜんぶうちの木ばっかり。家を建てるための木は残してあったんやわ。
今も山を手入れして、薪をつくっとる。2年ぐらい置くといちばん燃えがええから、今年つくったやつは再来年焚くやつやわ。
——家の材料まで自給自足、ですか。
子どもんたが入ると思ってお金かけて”離れ”をつくったら、3日か4日そこで寝たぐらいやったが(笑)
「80年生きてるといろんなことがある」
——家の前には、お庭もきちんと管理されていますよね。
今なら叱られるがよ…バスで行った時に富士山の元のなんやらの、そこで拾ってきたのもある(笑)
みんな趣味でやっただけで、金のかかってるやつあらへんよ。だから人に恥ずかしいって言われても手前が好きならそでてええ。

幹夫さんが管理する庭。年齢を重ねたこともあり、かなり規模を縮小しているそう
——良いですね。趣味に真っすぐというか。
皇居にはよ、1mか2mの植木鉢に入った五葉松があって、それを見たくて1週間奉仕*で皇居にも行ったわ。
皇居の掃除をしたり、舞台のところに椅子を並べたり。その時、佐見の人(ジン)といっしょに行ったが、天皇陛下(現在の上皇陛下)はそのジンの前で頭を下げた。天皇陛下が戦争中に疎開する時の護衛で、その佐見のジンが付いとったもんで。ただ握手はできなんだな(笑)
*皇居勤労奉仕:15人から40人の団体で、皇居で除草、清掃、庭園作業などを行うこと(https://www.kunaicho.go.jp/visit/event/kinrohoshi/index.html)
——(笑)
80年生きてるといろんなことがある。
この部落(集落)には昔は橋もなくて、汽車が通る鉄橋を歩いて渡っとった。鉄橋の上のほうにスズメが巣をつくっとってよ、登ってそれを取ったり…(笑)
バスの転落事故で、消防団に入ってたもんで人捜しで1週間捜索に出たりもした。
昔集落のお祭りのために俵で神輿つくって、子どもんたに担がせよったけど、もう子どももおらへんから担ぐどころか車で曳いていくこともできんくなった(笑)
いろいろあってどうにかこうにか80何年も生きたで、まあよかろう(笑)

家の歴史や家族旅行、野原での昔の生活、仕事。幹夫さんからはいろんな経験が溢れ出てきます。レンコンの話を聞きに行ったはずが、いつの間にか話は逸れ、広がっていきました。きっとそれらはすべて幹夫さんにとって大切な記憶で、80年の重みなんだと思います。
【田口 幹夫 さん】
屋号 :マルジュウ(〇に十)
出身 :白川北地区
学校 :大山中学校
職歴 :鉄鋼関係
趣味 :盆栽
取材年月:2026年3月
※記事の内容は取材当時のものです。

