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「繋がりがあったおかげ」

垣根をこえる地域芸能…小学4年生から舞台にたつ、元保健室の先生の踊る想い!

今回は佐見地域在住の渡邉由奈(わたなべよしな)さんにお話しを聞きました。

白川町には地歌舞伎の文化があり、昔は各地域に歌舞伎小屋がありました。時代と共に歌舞伎小屋や担い手が少なくなる中、佐見地域で地歌舞伎の運営をされている渡邉さんの歌舞伎への想いを伺いました。渡邊由奈さんの膝の上には、小さなゲストも一緒です。

 

「私もやらせてほしい!」って親にお願いしたのが始まり

——早速ですが…渡邊さんは佐見歌舞伎(佐見地域の地歌舞伎*)に携わられているとお聞きしたのですが、歌舞伎はいつから始められたんですか?

地歌舞伎:素人歌舞伎とも呼ばれる。専業俳優以外の役者、その地域の人などによって上演される歌舞伎のこと。地域の奉納行事として行われるところもある。

 

小4から子役として舞台に出ていました。でも佐見には歌舞伎小屋がないので、佐見中学校の体育館を歌舞伎の舞台にしていましたね。

——小4から?!すごい!(ある意味英才教育だ…)確かに体育館は舞台としてはちょうど良さそうですね!

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真ん中が由奈さん。凛々しい。

 

 

でも歌舞伎の舞台はとても大掛かりなので、地域として開催できない年があって、8年くらい空きました。

——8年も出来ないのはつらい…。

高校生までは日本舞踊を習っていて、三番叟(さんばそう)という演目を踊ることができたので、地歌舞伎が開催できない間は、地域内でおめでたいことがあったら舞をさせてもらっていたんです。

——日本舞踊も!日本舞踊を習うきっかけは何だったんですか?!

歌舞伎の先生が日本舞踊も教えてみえたから、ですね。

——渡邊さんは学生時代から色んな伝統芸能をやられていたんですね。

小さい時から劇とかが好きだったんです。歌舞伎を始めたのは、小学校の年上の友達が地歌舞伎の舞台に上がっていたのを見て「私もやらせてほしい!」って親にお願いしたのが始まりだったと思います。立派な舞台で、衣装もお化粧も本格的でキラキラしていました…。

——テレビのアイドルのようです!(地歌舞伎のある地域ならでは)

舞台で演じるとたくさんの人が拍手をくれて、お客さんから「よかったよ!」って言われて嬉しかったですね。大人と一緒に子役として出られるのも楽しかった。6年生からは子供達だけで演じる『子供歌舞伎』にも出させてもらうようになりました。

——子供の頃のそういった体験とか感動が、今の佐見歌舞伎の活動につながっているんですね。大好きな歌舞伎が8年ぶりに復活した時はいかがでしたか?

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お母さんの膝の上で一緒に聞いてくれました

 

体育館に立派な舞台ができあがり、感動…

佐見で地歌舞伎が復活したのは嬉しかったです!最初は役者をやるだけだったけど、徐々に運営する側にもなっていきました。

——運営する側になったのにはどういう思いがあったんですか?

子どもの頃は舞台造りには参加していなかったのですが、大人になり歌舞伎が復活した時に初めて舞台造りに参加したんです。何もない体育館に床が傷つかないようにするための段ボールを敷くところから。たくさんの人の手によって、一日がかりで体育館にすごく立派な舞台が出来上がり、感動しました。

——段ボール敷きから…

佐見歌舞伎を地元でつなげようと協力している人がたくさんいる。だから「私も頑張ろう」と思い運営に関わるようになりました。それに、『わたしほど歌舞伎がすきな人っていないなぁ…』って思ったんですよね。佐見歌舞伎が休みの間も、東京や名古屋へ大歌舞伎を見に行ったり、他の地域の地歌舞伎を見に行ったりしていたんです。

——本当に歌舞伎LOVEなのが伝わってきます。

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う、うつくしい…流し目されたらドキッとしてしまう…

 

実は他の地域の地歌舞伎にも出させていただいたことがあるのですが、その経験があったので『地歌舞伎にも地域それぞれの雰囲気がある』と気づきました。

——その地域がもつ雰囲気が『地歌舞伎』を形作っていて、そんな地歌舞伎をつなぐ方々の輪もひろがっているんですね!あ、そういえば白川町だと黒川も地歌舞伎が盛んですよね?

そうですね。黒川は役者ではない人も稽古場に来て、お茶を出したり、着付けを手伝ったりしてらして、あったかいところだなぁと思います!

——素敵!佐見もそうですが、地域全体で文化を支えている雰囲気を感じます!

佐見は真面目に稽古をしてる印象ですね(笑)2年に1回というのもあって、真剣さが出るのかもしれません。

——黒川は歌舞伎小屋が残っているけど、舞台づくりも含めて大仕事ですもんね…。

最近は、新しく始めてくれる若い役者さんもいて、佐見中学校や佐見小学校に勤めている先生も参加してくれてますね。先生が出てくれると子どもが観に来てくれるので、地域で交流するきっかけになっていると思います。

——由奈さんのように、子どもから地歌舞伎を通じて人とつながる場所が増えていきそうです!

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小さなゲストのお陰でなごやかムード

 

今では地歌舞伎が佐見小学校の総合学習の授業に

あと、今では地歌舞伎が学校の授業になりました。存続のためでもありますが、小学校5,6年生の総合学習で取り入れてくれて、子供歌舞伎が続いています。小学校の授業として取り入れられた最初の世代の子達は、もう20歳になりました。

——授業で取り入れられてそんなに経つとは!だから脈々と地域の中で技術と文化が伝わっているんですね。

そうかもしれません。ただ、私を指導頂いた師匠さんが高齢になってきて、その方が1人で教えるのは大変になってきました。私も講師をしているので一緒に行って教えたりしています。その時には私が教えたことを師匠さんに整えてもらったりするんですけどね。

——師匠さんから由奈さんに受け継がれ、紡がれていくんですね。ちなみに学校の地歌舞伎の授業ではどんなことを学ぶんですか?

総合学習では先生から地歌舞伎の歴史の話などを習い、私たちが演目の所作などを実際に教えています。黒川は地域内に先生が沢山いますが、佐見では地歌舞伎のお披露目が1年おきなので、演者も少なくなり地域で教えられる人が少なくなってきています。

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三味線を演奏されることも。多芸すぎる

 

——教える側としても渡邉さんの存在は貴重なんですね…。

私の働き方的に日中に動きやすかったのもあるかもしれません。あと、中学生の子達に三番叟(舞の)を教えていました。でも結構激しい踊りなので(担い手の高齢化もあり)先生たちも教えるのが大変になってきたんです。しかも佐見中学校が統合されるということで…小学校の総合学習もどうなるか心配です。

——由奈さんがいらっしゃるとは言え、担い手不足も深刻化しているのは心配…。今教えている子供たちが次の担い手になってくれたら嬉しいですね…。

やりがいは子供の成長を見守れること

——そういえば、お仕事では保健室の先生として学校に勤められていたんですよね?

はい。2年間名古屋の短大で養護教諭を学んで、白川町で養護教諭、いわゆる保健室の先生をしていました。

——そうなんですね!ちなみに養護教諭を目指そうと思ったのはいつからなんでしょうか?

高校三年生で進路を考えた時ですね。元々小6の時に母を亡くして父と2人暮らしだったので、父を1人残すのは心配だなと思い、地元で働くことにしました。それで白川町内で15年くらい勤めました。白北(旧白北小学校)、佐見小、黒中から下呂市の小学校に行って、黒中に戻ってきました。

——町外と町内の学校の違いはありましたか?

下呂の学校も小規模でいい学校でしたが、白川町は知っている人が多いし、生徒も保護者の方々も温かく受け入れてくれました。下呂には1年間いたのですが、黒川中学校に戻ってきたら、1年生の子が3年生になっていて、子供たちの成長を感じられるのも良かったです。

——それはやりがいがありますね!

そうですね。あと、白川町の良いところは、保護者だけじゃなく地域の人が温かく子どものことを見守っていてくれていることですね。

——確かに…地域のみんなで子供を育てる感覚は白川町や田舎ならではだと思います。

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鬼気迫る演技

 

 

——将来的にはどう歌舞伎に関わっていきたいですか?

佐見歌舞伎のおかげで地域の温かい人と繋がれた

将来、そうですね~夫も同じ佐見地域出身で地歌舞伎をやっていたので、いつかは夫と子供と私の親子3人で歌舞伎をやってみたいですね。佐見歌舞伎のおかげで地域の色んな年齢の人と関わるきっかけになったので。

——地域の色んな年齢の人と繋がれる活動って貴重です…。

もし歌舞伎をしていなかったら、学校に勤めていなかったら…町外へ出ていったかもしれません。私が佐見に帰ってきたのも温かい人との繋がりのおかげです。

——学校もそうですが、歌舞伎があるから町への愛着や居場所が生まれたんですね。

コロナがあって歌舞伎は地域としてもお休みの状態だけど、復活したら稽古の時にお茶を出すだけでも、支える側として少しでも関わっていきたいです。

——お仕事や趣味を通じて地域に顔と顔の見える関係を作ることで「ここにいたい」という気持ちになるんですね。渡邊さん親子の歌舞伎が見れるのを楽しみにしています!

今日はありがとうございました!

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これらの写真もほんの一部

取材年月:2022年3月※記事中の年月は取材当時のもの

【佐見歌舞伎】

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