福祉施設や個人宅を訪問し「聴く・見守り・つなぐ」活動として、傾聴のボランティア活動を行う『みのしらかわ傾聴ボランティア みみずくの会(以下『みみずくの会』)』
保健師やケアマネージャー、社会福祉士などが在籍し、「心に寄り添う傾聴」をモットーに地域包括支援センター*と連携しながら地域活動を行っています。
*高齢者の健康面や生活全般に関する相談を受け付けている、地域に密着した総合相談窓口です。 各市区町村に設置されている。白川町では『みみずくの会』が個人宅へ伺う際の派遣元なども担っている
平成25年の発足時から代表を務める、渡辺康子(やすこ)さん。
「身近な人、地域の人と、なんでも話せるような話し相手になれれば良いなと思います」
そう語り活動を続ける康子さんに、お話を伺ってきました。
”傾聴ボランティア”をする目的
——『みみずくの会』ではボランティアとして、”傾聴”活動を行っていますよね。
話を聴いて、その人の想いをしっかり受け止めるというのがメインの活動です。家族だからこそ話せないこともあるし、すぐ近くに話せる人がいないということもある。
とにかくその人たちのことを認めて話を聴くことを大切にしています。
——その人のことを認めて話を聴く、ですか。
まずは、今の思いを最後までしっかり聴くということが大事です。
話しの途中ではその人は悲しいかもしれないし、怒ってるかもしれないけど、最後までお話しすると自分で自分の気持ちの整理ができるようになります。
その時は感情的になったとしても、後から振り返ると「そんなこともあったなぁ」って考えられる人がほとんどなんです。
–—–たしかに僕自身もそういう経験があります。その傾聴活動を”ボランティア”として行うのは、どういった理由なんでしょう?
一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんとか、家族から離れて暮らしてる人もいらっしゃるから、やっぱり寂しく感じることがありますよね。
遠いところへ行って人と会うのも大事だけど、近くの人たちで声をかけたり、集まってご飯を食べたり、そうやって「遠い親戚より近くの他人」を大事にしないといけない…とこの頃よく思います。
『みみずくの会』では、個人宅訪問をした後必要なことは地域包括支援センターに報告します。傾聴は話を聴くことプラス、話を聴くことを通して見守りや今その人にいちばん必要なところ(施設や団体など)に繋げるという目的もあります。
——人口が減っていくなかで、人と人が繋がる体制づくりになっているんですね…!康子さん自身が傾聴活動を通して感じたことなどはありますか?
夫婦でも違って当たり前と思うようになりました(笑)
——違って当たり前、ですか。
家族が自分と同じ考え方だと思っていると腹が立つけど、違うのが当たり前だと思うと「今はあんなこと言ってるけど、若い頃は言わなかったからだんだん変わってきたなぁ」とか、そういう風に捉えられる余裕ができた(笑)
自分が相手のことをぜんぶ知っていなくてもいいと思えたから、こっちも楽になりました。
——たしかに相手との距離が近ければ近いほど、些細なことで腹が立ったりしますよね。それって「相手と自分は同じ考え方」だと心のどこかで感じているからなのかな…
大事な人を亡くした友だちに対しては「その人は今どんなことを思ってるかな…」って考えたり、些細なことで声をかけたり、もしかしたら鬱陶しいと思われるかもしれないけど、その友だちが大変な時だからこそなにかできることをしたいと思いました。
知り合った人や仲間の人、みんな強い部分も弱い部分もいろんなところがある。それぞれの人のことをぜんぶは分からないけど、寄り添ってあげられたらいいなと思います。
——話を聴いてみんな違うと分かるからこそ、できることがあるんですね。
いろんな人がいて、いろんなことがある。これからも良いことがあるかもしれないと思うと楽しみです。
障がいや年齢に関係なく、人が繋がる大切さ
——-そもそも康子さんが『みみずくの会』を立ち上げたのはどうしてだったんでしょう?
元々は社会福祉協議会で働いていたんですけど、お義父さんが亡くなってお義母さんがひとりになったから、退職しました。
その後辞めた人同士でお茶をしていたんだけど、せっかく福祉に関わっていた人が集まっているならみんなでボランティアをしようとなり、サンシャイン美濃白川(社会福祉協議会が運営する特別養護老人ホーム)に行ってお菓子づくりをしたり、お話を聞いたりしたのが始まりです。
——始まりはお茶会だったんですか。
その後町の主催で「自殺予防講座」があり、3年間継続して受講しました。その仲間たちと、研修の成果を活かして孤立しているお年寄りに心を開いてもらえるような支援ができないかと『みみずくの会』が立ち上がりました。地域包括支援センターが派遣元となり、傾聴の研修も続けながら町内施設や個人宅に訪問するようになりました。
——社会福祉協議会で働かれていたというのは、元から康子さんは福祉に興味があったんでしょうか?
きっかけは高校生の時に、先輩の福祉施設訪問に同行したことです。そこで入居者の人たちがテレビを観ておられたんですが、表情がぜんぜんないんです!笑顔も、お互い言葉を交わすこともないお年寄りが、無表情で座っているのを見て悲しい気持ちになりました。
——そうだったんですね。
子どもの頃、実家に耳の遠いおじいちゃんがいて、ほんとに私たちを可愛がってくれました。当時は障がいのことなんか分からないし、耳が聞こえづらいことを気にせずに家族は接していました。
福祉施設での光景は、子どもの頃日常生活のなかにあった「障がいや年齢という分け隔てがない環境で人が繋がることの大切さ」を、思い出させてくれました。
だから、小さい時からの環境で福祉に興味をもったのかしらと思います。
——福祉への関わり方はたくさんあるように思いますが、たくさんの経験をされて今は傾聴の活動を継続されています。
私は大家族の末っ子で、いちばん上の姉とは10歳以上離れていました。親との思い出が私と姉ではぜんぜん違い「父は厳しい人やった!」と姉は言いますが、私はそうは思わなかった。
同じ親から生まれても人によって感じ方が違うし「私はこう思ってるからこれでいいんじゃない?」って思いながら、みんなの話を「そうなんだ」って聴いて育ってきた(笑)そのまま今に繋がってるのかもしません(笑)
——傾聴のルーツがそこにあったんですね…!他の人と違うことで、それに憧れたり羨んだりすることもありそうですが、小さい頃の康子さんはその違いを受け入れていった、と。
いろんな環境があるし、自分のところに降りかかってくる出来事は仕方ないです。だから「まあ、自分はこれで良いんじゃない?」と思って捉えています。
話を聴く時も「それは違う!」なんて言えないし、本人には、もっといろいろ話せないことがあるかもしれない。だから聴いたことを受け止めてさしあげないといけないし、それは自分自身に対しても同じだと思います。
地域で「なんでも話せる人」に
——康子さんの今後についてもお聞きしたいです。
身近な人、地域の人と、なんでも話せるような話し相手になれれば良いなと思います。もしその人になにかあったら、保健センターや地域包括支援センターに繋いであげられたらなって。
私は普通のおばさんだけど、話を聴いて繋いであげられる存在になれたらと思っています。
——人が温かい、でも人数が少なかったり物理的な距離が遠くて会う機会が少ない白川には、なくてはならない存在だと思います。
でもそれは急にはできないから、みんなとご飯を食べたり情報交換をしたり、少しずつ進めていきたいですね。
月に3回ぐらい燈明の当番が回ってきて、近くの社にお参りに行きます。そこへ行くと、近くにひとりで住んでるおじいさんが話しに来られるんです。亡くなった奥さんのこととか、子どものこととか、今困っていることや嬉しいこととか…
やっぱり、気を遣わずに話せる場がないとだめですよね。近所の人たちとそういう場をつくるためにどうしようかと、今考え中です。
みんな忙しくてなかなか実現できないけど、人を想う気持ちはいっしょだと思う。だからその気持ちを出せるような場をつくりたいですね。
「いろんなことがあって、面白いよ?」
と何度も口にした康子さんが印象的でした。
自分が置かれた環境や流れを楽しみながら、そのまま受け入れる。その姿勢が、他者を受け入れる活動に繋がっているんだと思います。
【渡辺 康子(やすこ) さん】
屋号 :やまた
出身 :東白川村
学校 :鐘紡長浜高等学校(定時制)、同専攻科
趣味 :歌うこと、ボランティア
読んでくれている人に一言 :今はなかなか人の事を考える時間がないかもしれないけど、みんな心のなかにあったかい気持ちがあるので、素直に出せるようになればいいなって思います。お仲間募集中(地域包括支援センターまでご連絡ください)
取材年月:2024年6月