縦向きにしてください

「今ある好きなものを守りたい」

行動することで白川茶への想いを繋ぐ『役場員農家の生き方』

白川町役場に勤務する渡辺 憲正(かずまさ)さんは2024年度から『白川茶持続可能対策監』という役職に就き、休日には実家の茶畑の管理や販売に関わりお茶農家として活動するなど、町の特産品である白川茶に深く関わる存在です。

 

「昔はお茶が好きってわけでもなかったんですよ。でも、なんだろう…目の前にお茶畑があるから、こうやって関わり続けているのかな(笑)」

 

幼少期から茶畑の管理などを手伝ってきた憲正さん。当たり前にある光景を、これからに繋ぐ想いをお聞きしてきました。

「そこに茶畑があるから」お茶を軸に生きる理由

——憲正さんは、公私ともに白川茶に大きく関わっています。今取り組んでいることについて教えていただけますか?

お茶って、野菜と違ってそのままの生葉では売れないんです。生葉を加工するためには機械が完備された工場が必要なんですけど、採算が取れないから工場を閉めるところが町内でもたくさん出てきている。

お茶の製茶工場の様子

お茶の製茶工場の様子。町内でも、お茶の販売価格の低下や高齢化により、組合が管理していた工場の閉鎖が続いています

 

——それだと茶葉を収穫できても、加工できる場所がなく売れなくなりますよね。

そう、でも白川町は昔から家の周りにちょっとした茶畑があって、それを管理している家もまだまだたくさんあるんです。

そこを荒らすわけにはいかないし、白川茶を存続させるためにもまだお茶をつくり続けたい農家さんはたくさんいる。

収穫したお茶をきちんと加工して販売する仕組みをつくるのが、今のいちばんの課題で僕が取り組んでいることですね。

——白川茶にはこれまでの伝統や景観も関わっているし、きっと「売れるか売れないか」だけの問題ではないですよね。

そうなんです。これからも残していきたいけど、ただ不安も大きいですね。ここから10年…は大丈夫だろうけど、20年白川茶が続くか考えると、どうなんだろうって。お茶の単価は下がっているし、もしかしたら一部の事業者しか残らないかもしれない。

だからその現実的な部分は冷静に見つつ、同時に何でもいいしちょっとでもいいから、行動してみるっていうことが大事ですね。

茶畑の管理をする憲正さん

昨年は「白川でも参考になるかもしれない」と、静岡にある茶畑の耕作放棄地の再生ボランティアに4回ほど参加したそう

 

——憲正さんは休日にはお茶畑の管理や生産もされていますよね。ずっとお茶への想いを持っていたんでしょうか?

子どもの頃は、農作業を手伝わされて嫌だったんですよ。でも数年前に、役場で今とは違う業務で白川茶の担当をしたことがあって、その時に「こんなにお茶の生産って減ってるんだ!」って衝撃を受けたんです。うすうすは知っていたけど、それを数字としてちゃんと見た時にびっくりして。

——当たり前にあったものが無くなるかもしれない、危機感というか。

そうですね。だから、なんだろう…もちろんお茶のことは好きなんだけど、好きか嫌いかというよりもそこに茶畑があるからずっと関わっているという感覚です(笑)

家に畑があるから、ブドウやヘーゼルナッツ、キウイとかもつくってみています。そういうのはお茶の転換作物*になるかもしれないし、それがわかれば茶畑の耕作放棄地が増えてきた時の解決策になるかもしれない。どれも育つまでには3年はかかるから、長い取り組みですけどね(笑)

*400年以上の歴史がある白川茶ですが、その品質や評判の良さから、昭和30~40年代に桑の転換作物として茶畑が造成された箇所が町内に多くあります

 

地元の小学生が、お茶摘み体験をする様子

この日は地元小学生が、憲正さんのご自宅の茶畑でお茶摘み体験をする際の講師を務めました

 

「まずは何でもやってみる」という生き方

——-冷静に見ているからこそ、あらゆる選択肢を「行動してみる」ことで検討しているんですね。公私共にお茶が軸になっているように感じますが、憲正さんのこれまでについてもお聞きできますか?

大学からは地元を離れて、大阪の工業大学に通っていたんです。それで卒業してから地元に戻って、役場に勤めるようになりました。

——元から役場員を目指していたんですか?

いや、それはぜんぜんなくて、当時は車とかバイクが好きでエンジニアになりたかった(笑)

でもなかなかその就職先が見つからなくて、親に「とりあえず役場も受けてみろ!」って言われて今に至るというか…

——白川町はよく「長男だから戻ってこい」と言われた方も多いと聞きますが、憲正さんも「実家に戻らないといけない」という考えがあったんでしょうか?

あったかもしれんね。大阪での暮らしは好きだったし、きっと本気で探そうと思えば大阪で就職先もあったと思います。大学まで出してもらって「親にいろいろと迷惑をかけている」みたいな気持ちがあって、地元に戻って来たのかもしれないですね。

自分で何かを決断したというよりは、いろんなものに流されながら目の前にある興味のあることをとりあえずやってみる、っていう感じでしたね。

笑顔の憲正さん

「ずっと流されながら、車で言うとドリフトしながら生きてる感じ(笑)」

 

——憲正さんはお話していると”軽やかで飄々としている”印象を受けるんですが、そういった考え方が理由なのかもしれないなと思いました。

「気合いを入れて何かに取り組む」というよりは「まずは何でもやってみる」という考え方だから、そういうのがあるのかもしれませんね(笑)

僕はだいたい、いちばん最初は失敗するんです(笑)それで2回目はちょっと良くなって、3回目でできるようになる。

とにかくまずは前向きに考えて取り組んでいると、何か新しい次のステップが出てくると思っています。

——すごく見習いたい姿勢です…!逆に僕はなかなか前向きになれないこともあるんですが、憲正さんがそういった考え方ができるのは何でなんでしょう?

深く考えると嫌になっちゃうからかな(笑)

家にもたくさんの農地があるし、白川茶には課題もたくさんある。もちろん先のことは考えないといけないけど、それよりもまずは目の前のことに対して行動しないと始まらない。

この夏も、烏龍茶のことを勉強したいから台湾に行ってきます(笑)何か発見があるんじゃないかと思って、とりあえず飛行機を抑えてしまおうって(笑)

憲正さんのご自宅付近の様子

ご自宅付近の様子。「ここに住んでいて土地があるからこそ、いろいろ試せることがあるんですよね(笑)」

 

白川茶への想いを、繋いでいく

——「まずは行動してみる」という姿勢は、白川町で目の前にあるものと向き合ったからこそ生まれたものだったんですね。

新しく何かをつくることも大事だけど、まずは今ある好きなものを続けていきたいですよね。そのためにはいろいろと工夫してみんなに知ってもらって、売れるようにしなくちゃいけない。その気持ちが「行動」になっているんだと思います。

『白川茶手もみ保存会』の一員として活動する憲正さん

『白川茶手もみ保存会』の一員として、手作業でお茶を加工する伝統技術の後継にも関わっています

 

——流されながら、目の前にあるものと向き合いながら、お茶を軸としてたくさんの行動をされている憲正さんですが、今後していきたいことはありますか

お茶好きな人を増やしていきたいです。

飲むだけじゃなくて、お茶摘みやお茶をつくる体験を通して、お茶の面白さを知って欲しい。それで白川町に来てくれる人が増えると嬉しいですよね。

 

白川茶を「何とかして残したい」っていう強い気持ちを持った人は、町内外にたくさんいるんです。その想いを、繋いでいきたいです。

茶畑の管理をする憲正さん

 

「”自分ひとりで”というわけじゃなくて、人と人をどのように繋ぎ合わせて課題を解決していくかを考えていきたい。だから今はいろんなところに行って、いろんな人に聞き込みをしています」

と語る憲正さん。

 

自ら率先して動き、想いを集め、それを繋げていく。課題を冷静に見つめ、軽やかな姿勢で生きる憲正さんだからこそ切り開かれる道があるような気がします。

 

【渡辺 憲正(かずまさ) さん

屋号   :寺畑屋

出身   :白川

学校   :大阪工業大学

趣味  :珈琲とラテアート、オートバイ

読んでくれている人に一言  :お茶はたった”1分の料理”で、そのなかにいろんなものが詰まっています。詳しく知ると面白い世界が開けてきます。

 

取材年月:2024年5月 

  • 取材執筆/写真:

    澁谷尚樹

  • 監修:

    白川町役場企画課

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