縦向きにしてください

「僕らはみんな木材馬鹿」

ブランドに込められた先人の想いを守る『木材屋の生き様』

町内産の東濃ヒノキを自社で製材し、プレカットなどの機械を使わない昔ながらの方法で建築を行う『株式会社 今井木材(以下:今井木材)

代表取締役の今井香樹(こうき)さんは、2023年に当時23歳という若さで家業を継ぎました。

 

「ずっと木が好きでした。お客さんには、木を知ってもらいながら『家』という一生の宝物をつくってもらいたいです」

 

仕事に熱く向き合う姿勢と、その姿勢をつくった木と触れ合ってきた幼少期についてお聞きしてきました。

『東濃ヒノキ』を受け継いで守る「木材馬鹿」

——さっそく製材の様子を見せていただきましたが、すごい作業です…!

危険を伴う作業ですね。

でも僕だけじゃなく、木を切るところから含めて家を1軒つくるのには100人以上が関わっていて、みんな命懸けの作業をしています。

 

——作業をこうやって近くで見せてもらうと「命懸け」という言葉をより実感します。

その作業の重みを忘れず大事にしていきたいです。

昔の人たちの命懸けの作業や想いの積み重ねがあって『東濃ヒノキ』っていうブランドが生まれて広まったんですよね。僕らはそれを受け継いで、守っていかないと。

—–その積み重ねは、きっと香樹さんが家業を近くで見ていたからこそ感じるところもありますよね。

そうですね、今80代ぐらいの大工さんたちに昔から遊んでもらってました(笑)

うちは創業して100年以上になりますが、昔ながらのやり方を続けています。プレカット*はやらずに、自社で製材した木材を大工さんが手刻みで加工します。

家の細かい打ち合わせは大工さん自身がお客さんと行って、設計士と話し合いながら使う木材や寸法を頭のなかで出していく。家づくりのメインは大工さんなんです。

*従来は大工が手工具で加工していた木造住宅の柱や梁の継ぎ手などを、加工機械で行うもの。『今井木材』では予算を抑えたいお客さんや公共事業など、一部の施工で用いられています

 

大工さんにより加工された木材

大工さんが手刻みで加工した木材

 

——頭のなかで、ですか!?なんだかもう想像も及ばない世界です…

僕は僕で製材をしたり、代表としてお客さんとの窓口になったり、全体のプロデュースをする役割です。

大工さんは大工さん、設計士は設計士、他の職人はその分野のそれぞれプロやもんで。そのみんなが協力し合うからこそうちは何でもできるんやと思います。

仕事を好きでやってる人ばっかりで、みんな木材馬鹿ですよ(笑)だから頑固です。この仕事はみんなの生き様が家っていう”モノ”として残りますから。

——それだけこだわりが強いと、時間や労力もかなりかかりますよね。

棟数的には、年間に2~3棟つくるのが限界ですね(笑)大量生産でお金を儲けようっていう考えはなくて、1つの家を時間をかけてつくらせてもらいます。でもそのなかでコストを抑えて、お客さんの要望に応えて、想いを込めて家をつくっていきたいです。それが『東濃ヒノキ』っていうブランドを守っていくことにも繋がると思います。

不景気や物価高の影響で、これから家を建てることができる人は少なくなると思うんですよ。でも、若い人に「家を建てたい」っていう夢を諦めてほしくないです。自分の宝物で、家族の財産になるものをつくって欲しいんですよね。

この日製材した木材

この日製材した木材。ここから実際に現場で使われるまで、長いものだと1年近く自然乾燥させるんだとか

 

「いちばんのライバルは親父」

——香樹さんは若くして家業を継がれてますが、ずっと「継ぎたい」という気持ちはあったんですか?

いや、ぜったいやらないと思ってました(笑)

——え!そうなんですか!?

でも、木はずっと好きでした。ちっちゃい頃から大工さんが木でおもちゃをつくってくれたりもして(笑)

それで小学生の頃に、夏休みの自由研究で木材の研究をしたんですよ。47都道府県の名木について調べて、それで白川町の『東濃ヒノキ』についても知りました。「あぁ、この人らの想いはすごいな…!」って感動しましたね。

——自分が触れている木だけじゃなくて、普段接している大工さんたち世代の人が持つ『想い』に触れた瞬間というか…

そうなんです。

でも親父(現在は『今井木材』で会長職を務める)の仕事をしている姿を見ていて…とにかくがむしゃらに動く人やったんですよ。休みもないし、僕は親と遊んだ記憶はほとんどないです。

だから高校生ぐらいまでは、木のことは好きやけど「この仕事はぜったいやるもんか」と思ってましたね(笑)

製材する工場の様子

木が溢れるこの工場は、香樹さんの遊び場でもあります

 

——遊び相手が木と大工さんというのはすごい英才教育な気もしますが…きっとお父さんも、好きな仕事に強い想いを持っていたからこそですよね。

当時はそれが分からなかったんです。でも、受かった高校がたまたま森林科学科だったんですよ。本当はお菓子をつくりたくて、食品系の学科に進みたかったんですけど…(笑)

それが人生の分岐点かな。元から好きだった分野に触れることで、だんだん仕事として関わりたくなってきたんです。それで大学で建築を学んで、うちに戻ってきました。

お話したように、うちのやり方って昔ながらで独特なんですよ。大工さんからも「他所の工務店で違うやり方を覚えてくるなら、初めからうちへ戻って来い」って言われたんです。

——現在は会社の代表という、当時のお父さんと同じ立場で働かれています。

親父の気持ちも分かるようになりました。

自分が好きになった仕事に一生懸命になる気持ちはすごく分かるし、親父が当時がむしゃらに動いたおかげで今の自分があるっていうことも感じるようになりました。

親父は今も会長として働いているので、僕のいちばんのライバルは親父ですね(笑)

作業する香樹さん

「楽しくて、夜遅くまでずっと木を触ってますね(笑)」

 

「ここに生まれた」からこそ目指す、地域での活動

——香樹さんが目指すこれからについてもお聞きしたいです。

いろいろやりたいことはありますが…まずは『東濃ヒノキ』のブランドを守り広めていきたいです。

このブランドをつくったのは僕らの2つ上の世代。それを使ったのは1つ上の親の世代。僕らは残してもらったものを消費するだけじゃなくて、上の世代の想いも含めて守っていかないといけない。

——きっとその「想いを大事にする」ということが、育ってきた環境や小学生の自由研究など、香樹さんの根幹ですよね!

ここに生まれたから、しゃあないですよね(笑)知らん間に知ってしまってるし、木を好きになってしまってる。

そういう今の活動を基盤にしながら、別の活動としてはこの地域(白川北地区の『野原(のわら)』)を盛り上げたいですね!

——別の活動、ですか。

このあたりは景色の良い野原城址もあるし、昔からの農家の方もいる。それに最近は移住者の方がお店を開いてくれたりして、外からも人がたくさん来てくれるようになりました。

地域の方といっしょになって、グループで何か取り組みを始めていきたいです。野原の良さをもっと知って欲しいですね!

移住者の方により野原に新しくできた割烹料理屋『ふく一』の外観

移住者の方により野原に新しくできた割烹料理屋『ふく一』。こちらの店舗になっている家は香樹さんの祖父が建築に関わり、お店を開くにあたってのリフォームも『今井木材』が行いました

 

——たくさん専門的な技術や経験がある人が集まっているからこそ、そこから生まれる新しい取り組みが楽しみになりますね!

ほんとに、僕は昔から人に恵まれてるなと思いますね。恵まれ過ぎです(笑)

そのありがたい環境を生かすも殺すも、自分次第なんですよね。だからこそ『東濃ヒノキ』のブランドや木材を大事にするこの場所を基盤にしながら、その人たちといっしょにいろんなことをしていきたいです。

今井木材の看板

 

『東濃ヒノキ』というブランドに込められた上の世代の想いを、香樹さんは今も家というモノを通して残そうとしています。

香樹さんが放つ言葉のひとつひとつから、香樹さんが幼少期から全身で浴びてきたそれらの想いが浮かび合ってくるようでした。

 

【今井香樹(こうき) さん

出身   :白北

学校   :大同大学

職歴   :株式会社 今井木材

趣味  :旅行

読んでくれている人に一言  :お家や木のことで何かあれば、気軽にご相談ください!

 

取材年月:2024年2月 

【株式会社 今井木材】

〒509-1107 

岐阜県加茂郡白川町河東492

 

会社ホームページ

https://imai-mokuzai.com/

Instagram

https://www.instagram.com/imamoku.marue/

  • 取材執筆:

    澁谷尚樹

  • 写真:

    服部健人

  • 監修:

    白川町役場企画課・Anbai株式会社

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家を『屋号』でよびあう慣習が根づく白川町そんな町の想いを集め人と集落と未来をつなぐ