縦向きにしてください

「生きる暮らしがしたい」

日本のネパール、白川町での『半農半”料理”』

農家であり、料理人である保木本耕太(ほきもとこうた)さん。

パティシエである奥さんと共に野菜や料理、お菓子を提供する『hokimoto』を営んでいます。

神奈川県の横浜出身。以前は愛知県犬山市にあるオーガニックレストランで勤めていましたが、ご自身で有機野菜をつくるために白川町へ移住しました。

 

「思いついたことをたくさんやってきたけど、自分の軸には常に『食』があります」

 

アパレル業から始まった社会人生活。『食』との出会いや、単身での世界一周旅行など、これまでに繋がるお話を伺ってきました。

 

アパレル業界で感じた「人間らしく生きたい」

——現在の『hokimoto』での耕太さんのお仕事は、農家としての野菜づくりがメインになるんでしょうか?

最近は嫁の仕事(『hokimoto』としてのお菓子販売)が大きくなってきたから、そっちのサポートをしながら、依頼された時やイベント出店時の料理をつくったり、それに加えて農業をしているって感じ。

イベント時の夕食を担当した際の、料理の様子

イベント時の夕食を担当した際の、料理の様子

 

——ご家族で取り組まれている分、時期や環境によってお仕事のバランスが変わっていくんですね。

そう、最初は農家としての野菜販売と、その野菜を使ったお弁当の販売が多かった。でも最近はお菓子の人気が出てきて、いろいろバランスを考えて試行錯誤してますね。

目標を決めたり、そのための計画を立てるのが昔からあんまり好きじゃなくて(笑)その時に合わせて動いてるね。

—–決めていないからこそ、うまくいく部分もあるのかもしれませんね。以前はレストランで働かれていたと聞きましたが、料理はいつから始められたんですか?

けっこう遅くて、26歳かな。

それまではずっとアパレルの仕事をしてて、洋服屋の販売員をしながら「いつかは自分で洋服をつくりたいな」と思ってた。

——そうだったんですか!?ずっと料理に関わるお仕事をされていたのかと…!

販売員を2年ぐらいした時の上司との面談で「君は将来どうしていきたいの?」って聞かれて。洋服の企画とかをやりたいって答えたら「企画は外部から採ってるから、たぶん販売員からはなれないよ」って言われて。

え、まじ!?と思って(笑)それで洋服の企画の会社に転職したんだよね。

笑顔でお話する耕太さん

「尾﨑じゃないけど、ずっと自由は求めてたね(笑)働いてるお店の服を着なきゃいけなかったり、縛られてることに息苦しさを感じてた」

 

——たしかに、既に計画的ではない感じがします(笑)

そしたらそこはすごいブラックな会社で、朝9時から終電まで仕事。

「君の理想よりもお金になることを考えて」って言われて、毎日「金、金、金、金」っていう思考になってきてさ、1ヶ月で6キロぐらい痩せた。

前職の時の友だちと励まし合いながら頑張ってたけど、続かなかった。

——それは辛いですね…

当時はフェスが流行り始めたり、ファッション業界にもヒッピー系の服が増えてきて『自然回帰』とかが意識されるようになってた。

僕も都会や仕事に疲れて「人間らしく生きたほうがいい」って思うようになって、有機野菜や料理、旅にも興味が出てきてたんだよね。

——時代の流れと、耕太さんが求めているものが重なったんですね。

それで企画の仕事を辞めて、ミシンを担いで佐久島(三河湾に浮かぶ愛知県の離島)に1ヶ月行ったんですよ。

お話する耕太さん

「話してみると、相変わらずぐちゃぐちゃな人生だね(笑)」

 

求める生き方の中心にあった『食』との出会い

——え!?(ここで料理じゃないの!?)

1ヶ月後に服の企画展があるから、そこに向けて自分でつくりたい服をつくろうと思って(笑)田舎暮らしにも興味があったから、友だちのお父さんの家がある佐久島にその友だちと行きました。

でも洋服づくりが早めに終わっちゃって、友だちと解散して自由に過ごしたんだよね。僕はその時オーガニックに興味があったから、近くのオーガニックレストランを調べて三重県の亀山市にあった『月の庭(※現在は閉店)』っていうお店に行った。

——実際に動いて、興味があることにどんどん近づいて行ったんですね。

そこには全国からオーガニックや料理が好きだったり、暮らしを楽しみたい人たちが集まってて。変な人がめっちゃ来てて、めっちゃ面白いのよ(笑)

自分の好きなことやって、もっと自由に生きていいんだ!って思った。その人たちがすごく輝いて見えたんだよね。

横浜に戻ってからも「あの店ほんとすごかったな」ってずっと思ってた。それで半年後ぐらいに『月の庭』で従業員の募集があったタイミングで、応募した。それが26歳の時。

料理人時代の耕太さん

料理人時代の耕太さん

 

——まさに「人間らしく生きている」人たちに出会った衝撃というか…その場所の中心にあった料理が、元からの興味と繋がって耕太さんの生業になっていくんですね!

そうそう。最初は未経験だから、シェフにめっちゃ怒られたし地獄だったけどね(笑)とにかく頑張って料理を覚えた。

それで、元から僕は世界に長期旅行に行きたいっていうのがあったから、3年働いてスキルを身につけて、お金を貯めようと思ってたんだよね。それで、世界一周に行った。

 

世界一周で見つけた『生きる暮らし』

——え!?(また予想外な…!)

タイからスタートして、左回りだね。チケットはその都度取って。

『食と暮らし』の旅で、観光地とかには行かずに食事にお金をかけるようにしてた。

——『食と暮らし』ですか。

食事は、素材になる野菜含めて、ほとんどが自分たちの暮らしの中から生まれてる。

アジアの山奥とか、インド、ネパールでは「愛する友だちや家族が近くにいて、その日暮らせる十分な食料と屋根があったら、もうそれでオッケー」っていう考え方で生きてて。毎日がその連続なのね。

そういう『生きる暮らし』っていうのかな。その人たちにすごい感動して。

インドの砂漠での様子

インドの砂漠での様子。耕太さんは写真右側

 

——食も暮らしも、すべてが繋がっているんですね。『月の庭』、そして世界と、どんどん耕太さんが求める「人間らしい生き方」に近づいて行ってるというか。

もちろん、環境にすぐ引っ張れるんだけどね(笑)

日本に戻ってきたら友だちはみんな働いてるし「自分も働かなきゃ」ってなって。『月の庭』のオーナーシェフが犬山で出してたレストランでお世話になることになった。

 

でも世界一周してる時に、自給自足してる人に憧れてたからさ。

そのレストランでは白川町の有機農家とも取引があったから、白川の人と繋がりができてきて、実際に行ってみたら「面白そうな人もいっぱいいるし、山に囲まれてネパールみたいだな」と思って。

耕太さんの現在のご自宅前からの風景

耕太さんの現在のご自宅前からの風景

 

——白川は日本のネパール…!『食』を軸にいろんな経験をしてきたからこそ、耕太さんは白川町にたどり着いたんですね。

そう、自分で野菜もつくって、料理をしていこうと思った。それで1年間は『和ごころ農園』の伊藤さん(ヤゴーでも『有機農業体験』でお世話になりました)のところで研修を受けたね。

——まさに『生きる暮らし』を実践されているんですね。

「生活は充実してるけど、旅行にも行きたいからお金もっと欲しいなぁ」って思うこともあるし、そうやってすぐに引っ張られちゃうけどね(笑)

でも、その生き方のバランスは一生かけて見つけていくんだと思う。

——日本の白川町での、耕太さんの『生きる暮らし』ですね。最後に、今後やっていきたいことはありますか?

いっぱいあるけど、直近だと『オープンデー』をつくってレストランを開きたいです。

イベント出店とかに出て行くのもいいんだけど、自分たちの住んでる場所で、暮らしの中から生まれたものを共有したい。

『hokimoto』のロゴ

 

「相変わらず、喋ると自分の人生ぐちゃぐちゃだね(笑)でも僕にとっては全部が必要なことで、『食』を軸にしたものだった」

 

自分の手が届く、興味のある場所に行ってみる。そうやって自分の『軸』を強固にして、広げてきた耕太さん。きっとこれからも変わっていくだろう耕太さんの生き方に、勇気づけられる時間でした。

 

【保木本耕太(ほきもとこうた) さん

出身   :神奈川県横浜市

学校  :神奈川県立氷取沢高等学校

職歴  アパレルのショップスタッフ・企画、料理人

趣味  :旅行、散歩

読んでくれている人に一言  :工房のオープンデーには、是非遊びに来て下さい。

 

取材年月:2023年10月 

【hokimoto】

Instagram

https://www.instagram.com/farm_hokimoto/ (畑や料理の様子)

https://www.instagram.com/hokimoto2019/  (奥さんがつくるお菓子の様子)

  • 取材執筆/写真:

    澁谷尚樹

  • 監修:

    白川町役場企画課・Anbai株式会社

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