岐阜市に本社を置き、農作物の卸売業を行う『株式会社スタジオオニオン(以下スタジオオニオン)』
代表取締役社長の土井瑞貴(どいみずき)さんは、白川町の蘇原地区出身です。
現在も地元で暮らし「僕のわがままですけど、白川町に貢献したいという想いがあった」と、2020年9月に「町内の元気な方々で」野菜づくりを行う『そらいろ農園』を白川町で設立。
また白川町をアピールするため、郷土料理の「けいちゃん」をお店で味わえる『お食事処 まんぷく亭』を町内でオープン。「けいちゃん」を冷凍食品として販売する『本家白川けいちゃん』も開業しています。
数々の事業を行う瑞貴さん。経営者としてのルーツや、白川町で事業を行うことへの想いについてお聞きしてきました。
野菜の『通販サイト』をつくる
——たくさんの事業を展開されていて、肩書きを見ているとまさに『経営者』というイメージがあります。
もともとサラリーマン家庭で、大学を卒業してからは『JA全農』に就職しました。なんでこうなったかは分からないですね(笑)
ただ高校からは農業高校に進んで、そこからずっと一貫して農業に関わっています。
——事業というよりは、農業への気持ちが強かったんでしょうか?
父親もJA職員で、兼業農家だったんです。小さい頃から父に「今は農業は苦しいけど、絶対いつか見直される時代がくるぞ!」ってずっと言われてました。
それもあってか、大学もたまたま受かった農学部に進んだら就職先が農業系しかなくて(笑)
–—–ずっと言われてきたことが、きっと瑞貴さんに染みついていたんですね(笑)
父に騙されてたなと思いますけどね(笑)
——そこからご自身で起業されるきっかけはあったんでしょうか?
前職の時に1ヶ月ぐらいアメリカ研修に行く機会があって、そこでアメリカの農業のシステムを見たんです。
向こうでは生産者と販売者の間に『仲介役(ブローカー)』が入るんです。
『畑にはこれくらい種が蒔いてあり、この時期に出荷できます。ストックできる量も考えてこの時期にはこの値段で提供できます』『消費者がこういったものを求めています。うちの売り場ならこれくらい売れるので生産をお願いしたいです』そういったことを生産者、販売者、そして仲介役との三者で週に1回集まって話をしていきます。
仲介役は大型の冷蔵倉庫を持ち、そこで天候不順や消費の波による受発注の調整を行います。そうやって青果物が流通していくシステムを学びました。
——日本とは違いアメリカだと生産量も多いから、そういった『仲介してくれる存在』はより必要ですよね。
そうです。それを見て「これを日本でやったらいいんじゃないか」って。大手通販サイトみたいに、ピッて注文したら明日届くようなことを野菜でもできるんじゃないかと思いました。
「明日トマト100ケース欲しい」って電話で言われたら、サッと出せるみたいな。
「プレッシャーを取るか、安定を取るか」
——100ケース!業者版の通販サイトという感じですね…!でも保存できない野菜や果物を、たくさん在庫として抱えるのは怖いですよね。
28歳ぐらいでアメリカに行って、そこから32歳で起業するまではめっちゃ勉強しましたね(笑)
今スタジオオニオンでは大手の通販サイトみたいな役割をするためにも、ある程度の量を保管できるよう温度管理をするシステムや物流網、センターをきちんと構築しています。
他にも買い手が求めている野菜を生産者に共有したり、そういった野菜を実際に『そらいろ農園』でつくって生産方法のデータを生産者に共有したりもしています。
——まさにアメリカで見た卸売業者としての役割を果たしているんですね…!「農業はいつかくる!」とおっしゃっていたお父さんの言葉を体現しようとしているようにも感じます。
結果的にはそうかもしれませんね(笑)
でも納品先から「イチゴが痛んでる」って500万円分ぐらい返品されたり、買い手の人から何回も門前払いされたり、そんな苦しいことばっかりです(笑)
ほんとに挫折したし、どれだけ涙を流したか分かりません。「大人になってこんなに泣くのか」って思うぐらい(笑)
——果たす役割も大きいだけに、そこにたどり着くまでにはきっといろんなことがありますよね…起業してからいちばん苦しかった時期はいつなんでしょう?
それは、今(笑)毎日苦しいし、その苦しさは毎日更新中(笑)
明日のことが、毎日苦しいです。明日はどうなるかなんて分からないし、いくら勉強したってそれが成功する保証はどこにもない。涙流したくないから勉強しますけどね(笑)
——事業の規模も日々大きくなるなかで、ずっと不安と戦い続けるというか…
経営者というと華やかに見えるかもしれないけど、やりたいことをするためにも「プレッシャーを取るか、安定を取るか」というどちらかで、僕はプレッシャーを選んだだけです。
「白川町で一花咲かせたい」
——農業で自分がやりたいと思ったことを実現するための覚悟のように感じます。その後は白川町でも事業(『そらいろ農園』『まんぷく亭』)を立ち上げていますよね。
僕は高校から下宿で白川を出て、28歳で戻ってきたんです。白川に家があっても、周りの人は僕が何をやってるのか分からないんですよね(笑)
——たしかに「『野菜の卸売業の会社』を経営している」と聞いても、こうやって詳しく聞かないと難しいです…
せっかく住んでいるなら知ってもらいたいと思ったし、それにこれは僕のわがままですけど「町内で一花咲かせたい」っていう気持ちがありました。そうすることで雇用の問題とか、町の課題解決に少しでも役に立たないかなって。
『そらいろ農園』では、白川町の元気な方々に野菜をつくってもらっています。みんなめっちゃ元気じゃないですか(笑)町内の雇用だけじゃなくて、その人たちのコミュニティの場にもなって欲しいですね。
——年齢に関わらず、元気な人がたくさんいますよね(笑)先ほどお話にも出た、スタジオオニオンとして生産者の方に情報を伝えるためにも、『そらいろ農園』で実際に野菜を育てているんですよね。
そうです。あとはそらいろ農園でつくった野菜を使いながら、郷土料理の「けいちゃん」で白川町をアピールするために『まんぷく亭』をつくりました。無人販売所の『本家白川けいちゃん』ではオリジナルの「けいちゃん」の冷凍食品を販売しているので、『まんぷく亭』の味を手軽にご家庭で味わって欲しいですね。
——農業を通して、すべての事業が繋がっているんですね。「役に立ちたい」というのは『町に対しての想い』からでしょうか?
町、というよりは『人』ですね。白川の人たちにはすごい愛着があります。
高校から白川を出て、28歳で戻ってくるまでの10年以上の月日が一瞬で埋まるのは、白川特有だと思います。消防団に入って、自分が小学6年生の時に1年生だった人と何十年かぶりに会って一緒に全力で走ったりとか(笑)
今の『まんぷく亭』の店舗も、地主さんを知り合いから紹介してもらって借りることができました。「お前あそこの息子か!だったら使え」って(笑)
そういう人の繋がりがたくさんある。それが白川らしさですね(笑)あとは『挑戦』です。
——挑戦、ですか。
お客さんの数が少ない地域でビジネスをするっていうのは、すごい難しい。だからこそそういうことに挑戦してみたいという気持ちもありますね。
「白川で行列ができる店をつくってやろう!」ぐらいの(笑)
——けいちゃんのお店『まんぷく亭』は、週末などは行列ができている様子もよく目にします。
少しずつ町外の人にも知ってもらって、興味を持ってもらえるようになってきましたね。
でも、まだまだです。全国の誰に言っても「白川のけいちゃん」と聞いたら分かる状態にして、いろんな人に買ってもらえるところまではやりたいと思ってます。
いろんなことに挑戦していきたいですね。
「ほんとに売れなくて、涙を流すのが嫌で(笑)必要に迫られて、マーケティングを必死に勉強しました」
理想を形にするために、現状を見つめる。地に足をつけて行動する。プレッシャーと向き合う。
どこまでも現実的で、だからこそどこまでも行けそうな瑞貴さんに、勇気をもらった気がします。
【土井瑞貴(どいみずき) さん】
出身 :蘇原地区
学校 :蘇原小学校、白川町中学校、岐阜農林高校、岐阜大学
職歴 :JA全農→株式会社スタジオオニオン、株式会社そらいろ農園、本家白川けいちゃん株式会社(3社兼務代表)
趣味 :競馬(笑)
読んでくれている人に一言 :まんぷく亭にまた食べに来てください(笑)
取材年月:2023年09月