縦向きにしてください

「お寺は地域の一部」

町の財産である人と人を繋ぐ『とよかわさん』

黒川地区にある曹洞宗『豊川寺(ほうせんじ)』で住職を務める、宇都宮英俊(うつのみやえいしゅん)さん。

 

「小さい時から、住職である父の姿をずっと見てきました。今になって、目指す背中は大きかったんだなぁと思いますね(笑)」

 

「とよかわじ」という愛称で、地域に愛される豊川寺で生まれ育った英俊さん。

変わっていく地域への想いや、住職としての在り方についてお聞きしてきました。

座禅する英俊さんと、その上に座る息子さん

この日はお子さんも、取材に同行です(笑)

 

幼少期から受けとった『地域の愛情』

——英俊さんは2018年からこちらで住職をされていると聞きました。

4代目として父の跡を継ぎました。

学生時代に住職になろうと決めて、仏教系の大学で学んだ後は曹洞宗の本山である福井県の『永平寺』というところで修行していましたね。

——勝手な想像ながら、「お寺を継ぐ」というのはプレッシャーもあるのかなと思うんですが、いかがでしたか?

それはあまりなかったですね。

子どもの頃から父の姿をずっと見てきて、手伝いをすることもありました。「あぁ、住職も良いな」と思っていましたね。

それに檀家さんから跡継ぎとして期待もされていましたし、その期待に応えようという気持ちに自然となっていました。

本堂の様子

ご案内してもらった本堂。住職になる前後でのギャップはなく「大変ですが、嫌だと思ったことはないですね」と語ります

 

—–お寺という、地域に根差している場所で育ったからこそ感じるものがあったんですね。

温かい人や気にかけてくれる人がたくさんいますね。

父の代でお寺の修繕をする時、寄付を集めるために檀家さんの家を1軒ずつ回らせてもらったんです。快く受けてくださる方や、寄付が難しくても「また来てください」と声をかけてくれる方もいました。

父が地域のなかで信頼されて、ご理解ある檀家さんに支えられたからこそだと思います。

——世代を超えて、時間をかけて築いた関係ですよね。

みんな「とよかわさん」と親しんで呼んでくれますね。なので私も恥ずかしながら、子どもの頃は「ほうせんじ」だと知りませんでした(笑)

とにかく人が温かいし、住んでいて良かったなと思います。それは一度白川町の外に出たからこそ、余計に感じます。

お寺の前を流れる黒川

「子どものころは毎日遊んでいた」という、お寺の前を流れる黒川。本堂からは川の音が聞こえ、とてもリラックスできます

 

齢100歳の”本物”から受けた衝撃と『自分の核』

——名古屋の大学で学ばれた後は福井県の『永平寺』で修行された、と。

作法から生き方、考え方、すべてをその修行でみっちりと学ばせてもらいました。上の先輩方の指導も厳しかったですね、優しさうえの厳しさですが(笑)

3年半、24時間365日、先輩方といっしょにお寺に籠るように過ごしました。

——まさに「修行」ですね…!今に繋がる印象深い出来事などはありましたか?

永平寺で最もお偉い100歳を超えた方が、毎朝欠かさず仏さまに座禅をされていたんです。それを日々影から見ていたのが、一番の衝撃でした。

本物を見た気がしましたし、今の自分の核になるようなものを見た気がします。

座禅をする英俊さん

「自分たちは何でやらないんだろう?っていう気持ちになりますよね」

 

——今お話を聞くだけでも、背筋が伸びる気がしますね…!年齢や立場が変わっても、日々を丁寧に積み重ねていくというか。

そうですね。かなり老衰されていたんですが、一日もそれを欠かさない。日々生きている姿を、ただ朝起きて座っている姿を、毎朝見届けるという時間でした。

知識をつけるだけじゃなくて、日々を丁寧に過ごすことで、何か出来事が起こった時に気づきを得ることが大事です。私の原点ですね。やるべきことを欠かさずにやっていくのが、我々住職の使命なのかなと思います。

——出来事を経験するだけでなく、丁寧に日々を過ごして『気がつける自分』になっていくことが大事なんですね。

住職でも、人によって『仏さまの教え』の解釈や捉え方は違います。それはその人がどういう経験をして、そこからどういう気づきを得たかが違うからです。

人に伝える機会もありますが、話が上手いだけじゃダメなんです。そこは住職をしていて難しいですね。

 

これからも学んだことを忘れずにやっていきたいです。

お話する英俊さん

「人に伝える機会もあります。『説法』というか、そんな堅苦しいものじゃないんですが(笑)」

 

地域の一部として果たす役割

——話は変わりますが、白川町では人口も減り、お寺の環境も変わってきているのかなと思います。

そうですね。過疎は進んでいますし、神事も少なくなっています。

それでも檀家さんが亡くなった時に頼りになるのはお寺ですし、仏さまの教えを含めお寺だからこそみなさんに伝えられることもあると思います。

そういったことを伝えるためにも、自分が地域に出て行って関係を築くことを大切にしていますね。

——地域に出て行く、ですか?

消防団の活動だったり、近所の農家さんのお手伝いに行ったりとか(笑)いろんな人に声をかけて、お話を聞いたりしています。

他にもこの豊川寺で落語会や、夏休みには子どもたちを連れてきてもらって座禅会などのイベントをしました。

落語会の様子

落語会の様子。落語を行うのは、黒川地区に在住する落語家『しゅうめい』さん(英俊さんご提供)

 

——落語会ですか!お寺のイメージも変わっていきそうですね。

以前はヨガの先生を呼んだりもしていました。今後もイベントをしていきたいですね。

地域にはたくさんの人の繋がりがあるので、その一部として住職がいて、みんなが気軽にお寺に来られる環境になれば良いなと思っています。

——そうやってお寺で何かを経験したり、英俊さんのことを知ったりすると、すごく身近に感じると思います。

黒川地区の別の場所には昔、10代以上続く大きなお寺があったんです。でも明治の廃仏毀釈*によって潰れて、その後に”復興”という形で今の豊川寺ができました。

*明治時代初期に起こった仏教排斥運動。仏堂・仏像・仏具・経巻などに対して各地で破壊行為が行われた。

 

潰れても守ろうとした信心深い人がいたからここでの暮らしができたと思うと感慨深いですし、みんなの身近な存在としてこの場所は守っていきたいです。

豊川寺の外観

復興前の4分の1程度の大きさになったという豊川寺。それでも守ろうとした人たちがいることに「歴史をたどれば、感じるものがあります」と英俊さん

 

——時代によって環境や求められる役割が変わっても「お寺だからこそできること」があるからですよね。

地域があってのお寺なので、この地域の一部として頑張っていきたいです。

何より『人』が財産ですからね。人の繋がりの一部になって、この場所と人を守っていきたいですね。

豊川寺の様子

 

取材の終わりに、今感じている悩みを英俊さんに相談させてもらいました。

 

「そうやって今の自分が感じている素直な気持ちを、ため込まないで外に出してあげてください。自分の気持ちに罪悪感を感じることはないし、その気持ちを大事にしてあげてください。こうやってここに来て素直に吐き出すことができているので、きっと大丈夫です」

 

英俊さん自身も、抱えている悩みを周りの人に聞いてもらって「いろんな人に救われている」と語ります。

お寺という場所だからこそ、英俊さんという人だからこそ、話せること。

英俊さんが地域で果たそうとする役割に、温かく守られているような気持ちになりました。

 

【宇都宮英俊(うつのみやえいしゅん) さん

出身   :黒川地区

学校  :愛知学院大学 文学部宗教学科

職歴  :社会福祉協議会さわやか白楽園デイサービス勤務、住職

趣味  :マンドリン ソフトバレーボール

読んでくれている人に一言  :興味がある方は是非豊川寺にいらしてください。

取材年月:2023年09月 

【豊川寺】

〒509-1431

岐阜県加茂郡白川町黒川3353−3

 

  • 取材執筆/写真:

    澁谷尚樹

  • 監修:

    白川町役場企画課・Anbai株式会社

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