蘇原地区出身で、2022年4月から黒川中学校で校長を務める纐纈眞彦(こうけつまさひこ)先生。(その前は黒川小学校で校長を務めていました)
ご自身が中学生の時に『教員になるきっかけ』があったという纐纈先生。その経緯や、教育への想いについてお聞きしてきました。
「教員になってくれないか?」から始まった教員への道
——纐纈先生が教員になられたきっかけは何だったんでしょう?
白川中学校の3年生の時に、校長室に6人ぐらいの男女が集められて。
当時の校長先生から「白川町は教員が少ないから、将来的にぜひ教員になってくれないか?みんなは教員に適してると思う」っておだてながら言われたんです(笑)
その頃は強くは意識していなかったんですが、大学を選ぶ時になって「やっぱり教育学部かなぁ」って教員を意識するようになりました。
——当時の校長先生の言葉が残っていたんですね。それにしても、すごい直談判というか…(笑)
呼ばれたのは主に生徒会役員だったり、部活の部長をしてるメンバーだったと思います。
教員になったのは、呼ばれた6人のうち私だけでしたけど(笑)
–—–面白いきっかけだなぁ…(笑)実際に教員になられてからはいかがでしたか?
岐阜県の小学校の区分で採用試験を受験しました。
小学校で受験しても、採用後は小学校と中学校のどちらに赴任するかは県の教育委員会が決めるんです。最初の12年間はずっと中学校でした。
当時の中学校は荒れていた時代だったので、身体が大きい人は中学校っていう定説があって。初任の学校は、やっぱり身体の大きい先生ばっかりでした(笑)
——分かりやすい定説です…(笑)纐纈先生の専門教科は保健体育とお聞きしました。身体も大きいとなると、荒れている学校では求められる役割も大変そうなイメージです。
その頃はもう必死でしたね。でも同年代の先生もたくさんいたので、みんなでチームになって取り組んでいました。
生徒指導的なものもあったし、400人ぐらいの参観者の前で授業をする研究発表という準備もあって、みんなで夜遅くや、時には朝まで残業することもありました。今は働き方改革もあって、そんなこと考えられないですが(笑)
——生徒や授業への対応だけでなく、研究発表まで…!「もう嫌だ」みたいになることはなかったですか?
思っていたかもしれないですが、やらざるを得ないからやってましたね(笑)
いろいろやってみると面白いと感じる部分もでてくるし、ひとりではなくチームで取り組んでいたから乗り越えられました。
——教員をしていて、仕事に慣れ「楽しめるようになってきたな」と思えたのはいつ頃からなんでしょう?
なかなか…ないですね…(笑)
30代半ばで初めて黒川小学校に赴任しました。その時は初めての小学校だったので、そこでも戸惑いの連続でしたね。
その時は6年間黒川小学校にいました。
——以前にも黒川地区の学校で働いていたんですね。
そうです。その後白川町の学校を一度出て、当時から20数年ぶりに黒川小学校に校長として戻ってきました。3年間務めた後は、現在黒川中学校で校長2年目になります。
——そうだったんですね。では当時の教え子の方とまた黒川で再会するということもありましたか?
そう、夏祭りに行った時も「先生!」って声をかけてくれて。そういうのも嬉しいし、当時関わった子たちが大人になって頑張ってくれているのを聞くのは本当に嬉しいなと思います。
子どもたちが自分に『誇り』を持つために
——黒川地区での教員生活も長い纐纈先生ですが、黒川中学校の特色はどういったところでしょうか?
今は全学年で29名しかいません。だからこそ、仲が良いんですよね。
——たしかに白川町の子どもたちは、学年を問わずみんな仲が良いという印象があります。
そのなかで『笑顔・挑戦・誇り』という学校像を目指しています。
安心して笑顔でいられる環境をつくる。学校内外でいろんなことに挑戦する。そして最終的には生徒自身に誇り、つまり自信を持たせてあげたい。
白川町には高校がないですし、将来的には一時的だとしてもこの地域を出て行く場面が必ずあります。この安心できる場所で培ったことを活かして、違う場所でも挑戦していってもらいたいです。
——地域ならではの安心できる環境があるからこそ、挑戦とそれによる誇りが生まれていくんですね。
ありがたいことに、地域の方々が本当に協力的ですね。保育園から中学校まで12年間メンバーが変わらないから、一体感もある。
もちろんそれによって、固定的な見方をされてしまうこともあります。最近は少なくなっていますが「あの子は小さい頃からこういう子だね」とか。
——あ、言われてみると僕自身も他人に対してそういう見方をしてしまうことがあるかもしれません…
だからこそ、子どもたちには自分自身への誇りを持ってもらいたいです。
そのために前々校長先生から引き継いで『黒中賞』というものを続けています。子どもたちが頑張ったことに対して、先生方や私の推薦で賞状を出してあげる。
何かに挑戦し、やり遂げたことに対して『頑張った証』を残すことで、少しでも自信に繋がってくれればという思いで毎月送っています。
——順位などの相対的なものではなく、取り組みそのものに対して表彰してもらうのはとても良いですよね!小学生の頃、貰ったことのない賞状がどうしても欲しくてマラソン大会を頑張ったことを思い出しました…
どんな大会でも「上位~人まで」などが決められています。もちろんそういった経験も大事ですが、順位に関わらずそれぞれの挑戦が報いられる場を広げてあげたいなと思っています。
「あの」ではなく「うちの」学校
——荒れた時代なども経験されて、特に印象に残っていることなどはありますか?
それはいっぱいありますが…
でもね、そういう出来事や子どもたちも含めて学校を丸ごと好きになっているので「やれることはなんでもやろう」という気持ちでいます。
——学校を丸ごと好きになる、ですか。
私も昔は「あの子がいなければもっとクラスが落ち着くのに」とか思ってしまうことがあったんです。
でも「あの」って考えてるうちはダメなんですよ。まずは「うちの」って思うようにしないといけない。うちの学校の子ども、うちの先生、うちの町。そうしないと、いつまで経っても自分が外から見てるような感覚になる。
——すべてを自分事として捉える、ということですね。
「うちの子どもたちのために、何ができる?何かできることを考えよう。そのために私たちはいるんだから」という話を、4月の最初に職員にも伝えています。
だから私が今やっているのは、校舎のペンキ塗りです(笑)
——ペンキ塗り!?
子どもたちの環境が少しでも整うように、先生たちが少しでも働きやすいように、空いた時間で剥がれたペンキを塗っています。「うちの」学校の校舎ですから。
——纐纈先生がそういった考え方をされるようになったきっかけはあったんでしょうか。
30代の頃に、当時定年間際だった先生に言われたんです。「”この”学校って思っている間はあかんぞ」って。
自分がどっぷりとその環境に入って、自分事として捉えることが大事。
だから新しい学校に赴任した時に「うちの学校」って見方をできるように、まずは学校中を探検するんですよ(笑)
——探検!引っ越した初日に近所を散歩するような感じですね!
倉庫をぜんぶ開けて、片付けて回ります。何か聞かれればぜんぶどこにあるのか分かる、学校の主(ぬし)になってやろうと(笑)
去年黒川中学校に来た時もそうして、順番に整理していってます。今はちょっと理科室に手を焼いてますね。備品が多いので(笑)
——まさに「うちの学校」だからこその振舞いですよね。
そう、「うち」の学校やからやる気になる。でも自宅だとそんなことしないんだけど…自宅も「うち」なんやけどな、家の中やと甘えが出るんかな(笑)
教員としてこれまで誠実に勤めてきたつもりだし、教育現場以外でも誠実に向き合っていきたいと思っています。うちの町のこと、うちの自治会のこと、うちの学校のこと。やれることはやりたいし、チームとしてみんなで取り組んでいきたいですね。
「学校をまず好きになる。それは校舎も、校舎がある町も含めて好きになるってことです」
この言葉を体現するように、纐纈先生は日々校舎内を整理し、ペンキを塗り、地道な活動を続けています。
纐纈先生のお話を聞いていると「いつになったら先生みたいな大人になれるんだろう」と思っていた学生時代の気持ちが、また蘇ってきました。
【纐纈眞彦(こうけつまさひこ) さん】
出身 :蘇原地区
学校 :岐阜県立白川高等学校、静岡大学
職歴 :教員
趣味 :温泉、料理作り
読んでくれている人に一言 :黒川中学校からの眺めは、緑の山々、青い空、その間に広がる町並みなど、心が穏やかになる景色が続いています。ぜひ一度お越しください。
取材年月:2023年09月