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「いつ最期がきてもいいように生きる」

白川町の鬼が伝えるのは『遊んで楽しむ』生き方

30年以上、節分の日には鬼に扮して町内を練り歩くなど白川町でさまざまな活動をしている、白川北地区在住の尾﨑一廣(おざきかずひろ)さん。

 

長く続く活動は、二十歳の時に「仲間と楽しいことをやりたい」と立ち上げたテニスサークルの『お達者クラブ』が母体となっています。

 

「遊んでばっかり(笑)」と笑って話す尾崎さんのこれまでの活動について、お聞きしてきました!

お話する尾﨑さん

 

鬼が守る「伝統と繋がり」

——尾﨑さんは、毎年節分の日には鬼の扮装をして町内の保育園や老人ホームなどを巡回しているんですよね!きっかけは何だったんでしょう?

この地域では昔『鬼札(おにふだ)』っていう「短冊に鬼の顔を描いたもの」を玄関の入口に貼ってた。鬼が家に入ってこないようにして、健康と安全を守る役割やね。

節分の日には子どもがそれを、みんなで競争しながら取りに回ってた。

実際に使われていた鬼札

実際に使われていた鬼札

 

——そんな伝統があったんですね。

そう、でもだんだんと子どもが来なくなって、節分の日を過ぎてもずっと鬼札が玄関に貼られたままになっていった。いつまでも風が吹いてひらひらしているのが寂しくて、

「それなら子どもたちみんなで近所の家を回って鬼札を取ろう!せっかくなら鬼の面でも被って、家の人に豆でも投げてもらったら楽しそう」

って言って、地域の家を回り出したのが始まりやね。もう30年以上経つかなぁ。

鬼の格好をして白川口駅を歩く尾崎さんたち

白川口駅を歩くと、偶然居合わせた人たちが興味津々。尾﨑さんは写真右の赤鬼

 

—–町の伝統を守りながら、自分たちも楽しめるものをつくったんですね!それにしても30年以上続けるのは大変だと思いますが、続けられた理由などはありますか?

やっぱりやってて楽しいっていうのと、みんなが手伝ってくれるからやね。

町外から来た地域おこし協力隊の子とか、町内の元校長先生がいっしょに鬼として回ってくれたり、みんな平日でも仕事の都合をつけて来てくれるから続けられる。

——尾﨑さん自身が楽しんでいるからこそ、いろんな人たちを巻き込んでいくのかもしれないですね。

鬼のお面をつくる時から楽しいよ。僕はつくるのは下手くそやけどね(笑)

それにいちばん最初につくったお面はまだ活躍してる!白川町から可児のほうに勤めている方がいて、その人が「働いている保育園で使いたいから貸してほしい」って言ってくれて。 

——楽しさも、楽しんで行う活動も、広がっているんですね。

笑顔でお話する尾﨑さん

保育園や小学校、老人ホームを鬼が回る『節分の日』は町内の恒例行事となっています

 

楽しむことで残す『季節ごとの思い出』

——鬼の活動の母体は、尾崎さんが若い頃につくられた『お達者クラブ』というサークルだとお聞きしました。

20歳ぐらいの時に仲間5人で「年を取っても続けられるように」と『お達者クラブ』っていう名前のテニスサークルをつくった。当時は週1回、体育館に集まってテニスをしてた。

——始まりはテニスだったんですか!

テニスは特にやったことなかったけど「なんか楽しそうやからやろうか」って(笑)

その当時の経験から『遊んで楽しむ』生き方になっていったと思う。

節分の日の鬼もそうやけど、他にもみんなで自転車レースとか仮装大会に出たり、Eボートの大会に出て優勝したりもした。

そこで貰った賞金で、どこかに遊びに行ったり鬼のお面をつくったりしてね(笑)

笑顔でお話する尾﨑さん

「若い頃みんなで旅行に行ったら、旅館の人がビックリしてた。『お達者クラブ』って団体名で予約したから、老人会か何かと勘違いしてたんやね(笑)」

 

——真剣に遊ぶことが、次の遊びに繋がっていくんですね!聞いてるだけでも楽しそうです!

今と違って何にもなかったからこそ、自分たちで楽しめる環境をつくるしかなかった。

それに、そういう自分たちが楽しむ活動を見て、子どもたちに『季節ごとの思い出』が残ればいいなって思うね。

——季節ごとの思い出、ですか。

大人になって白川を出て行ったとしても、節分の日になったら『鬼』のことだったり、夏になったら『綺麗な川で遊んだりボートに乗った』ことを思い出して「昔あんなことがあって楽しかったな」っていつまでも故郷を忘れずにいてほしい。

それが白川町との繋がりをつくって、その子たちにとっても心の支えになってくれると思う。

飛騨川の川岸を歩く尾﨑さん

子どもの頃いつも遊んでいたという飛騨川。取材開始前には、川岸でゴミ拾いをされていました

 

——尾崎さん自身も、そういった思い出が残っていますか?

子どもの頃はこの飛騨川でとにかく泳いだね(笑)

夏は泳いで泳いで。岩からジャンプしたり!

僕も年を取ったけど、これまでいろいろ楽しんで生きてきたし、充実してたなと思う。

 

いつ最期がきてもいいように生きる

——『全力で楽しむこと』が積み重なって、それが尾崎さんの人生を豊かにしてきたんですね。尾崎さんがこれからしていきたいことはありますか?

まずは今していることを続けていきたいね。節分の鬼だったり、他にはクリスマスにサンタクロースの格好で近所を回っとる(笑)

町の中を鬼とかサンタクロースがうろうろ歩いてるって、楽しいやん?

節分の日に白川橋の上で記念撮影をする尾﨑さんたち

節分の日に白川橋の上で記念撮影をする尾﨑さんたち

 

——テーマパークみたいですごく楽しそうです!鬼以外にもサンタクロースまでされているんですね、幅広い!

後はできる限りボランティアにも参加していきたいね。

——ボランティアですか?

これまで東北や熊本の震災だったり、いろんなところのボランティアに行った。

テレビを観るだけじゃなくて、実際に足を運んで災害を経験した人の話を聞くのは大事やなと思う。

行っても大した力にはなれないけど、行かないと分からんことがあるもんね。

——ボランティアに行かれたきっかけは何だったんでしょう?

北陸で船の座礁事故*があった時に、ボランティアの希望者のために白川町からバスを出してくれることになって、それがボランティアに参加した最初やった。

映像を観ていて「何か実際に力になれないかな」っていう気持ちがずっとあってね。

*ナホトカ号重油流出事故(1997年1月に日本海で発生した重油流出事故)

 

そこでは海に流れた油の除去作業をしたんやけど、その真っ黒でべとべとの油をビンに入れて持ち帰って、実際に小学生に見せたりもしたね。

お話する尾﨑さん

その後イベントなどを行う際には、合わせて募金活動をすることもあったと言います

 

——映像だけでなく、きっと実物を見て尾崎さんが感じたことがあったからですね。

そうやね。それがきっかけで、機会があればボランティアに参加するようになった。

行くだけじゃなくて「家が屋根まで水没したこと」とか、「息子さんが亡くなったお話」とか、現地の方にいろんなことを聞いたね。僕には話を聞くことしかできんかったけど…

その場所の空気に触れて話を聞いたのは、自分にとっては大きかったと思う。

 

たまたまその場所は災害があって、僕はたまたま災害がないところで暮らしてる。

偶然こうやって健康で生きられているからこそ、自分にできることはしていきたい。

——お話を聞いていると、ボランティアのご経験も尾崎さんの生き方に繋がっているように思います。

いつ動けなくなっても、いつ最期がきてもいいように生きてる。

自分が楽しみながら、周りにも楽しんでもらって、役に立てることをしていけたらいいね。

笑顔の尾﨑さん

 

「自分の最期は明日かもしれない」

 

と笑顔で話した尾崎さん。

『目の前のことを楽しむ』という尾崎さんの生き方は、『今』を大切にするからこそできることなのかもしれません。

 

【尾﨑一廣(おざきかずひろ) さん

出身   :白川北地区

学校  :坂ノ東小学校(今は廃校になっているから、これは載せたい!)

職歴  :美濃白川スポーツスパランド、可茂森林組合、など

趣味  :バイク、映画鑑賞、餅つき、など

読んでくれている人に一言  :何か楽しい事を一緒にやりませんか?

 

取材年月:2023年08月 

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  • 取材執筆:

    澁谷尚樹

  • 写真:

    樋口彩

  • 監修:

    白川町役場企画課・Anbai株式会社

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